人間は2種類に分かれる。スマホでてきとうに、儀式的に撮った写真を見返す習慣がある人とほとんど見返さない人である。僕は今日、後者から前者の人間に変わろうと思う。
現時点でも仕事で使うことがあるし、いま思い描いているキャリアを進むのならば将来的には使えていたほうが間違いなくいいのだけど、……なんかこう、写真に対する苦手意識というのがぬぐえない。
うまい写真の撮りかたがわからない、といった技術的な問題ではなく、そもそもなにがいい写真なのか、いい写真とそうでもない写真の違いがなんなのかについてまったくわからず、感受性がないのである。
なので、写真を撮るのは、もう二度と来ることがないであろう場所にいるときに、「そういえばここに居たな!」ということをスマホのなかにメモっておく、一番手っ取り早い方法、という感じに僕のなかでなってしまっている。
いい写真・悪い写真・そんなのひとの勝手・大事なのは写真がそこにあるかないかなんだ、という状態だ。脱却したいと口では言っているが、いまのところまだ口で言っているだけである。
(ちなみに写真は、東京大学の安田講堂の内部。昔大学紛争の時代には催涙弾や放水の飛び交うバトルフィールドとなり、いまは学園祭の時などに目の前の広場でアイドルが踊るのを見守っている建物である。学生であってもふつうは中には入れないが、その年の夏はキャンパスの図書館が改修工事中だった影響で特別に、自習室として開放されていた。ひとがほとんどおらず、快適な自習室だった)
こういう写真もある。川崎にあるちいさな立ち飲み屋さん、――ふつうはほとんど常連しかいないような飲み屋さんにたまたま行って、そこはちょっと音楽にうるさいマスターがいて、レコードやポスターがたくさん壁を埋め尽くしているようなところだったのだけど、そこで、沖縄から来た旅行者であることを話したり、「ちょっと音楽好きです(固有名詞を知っています)~。でもぜんぜん詳しくはないです~」みたいなそぶりをしていたら歓待され、いろいろなCDを勧めてくれたうちの1枚だ。
こういう時はテキストでメモするより簡単なので写真を取っちゃうんだけど、テキストメモと違って読みかえすことはやっぱりほとんどない。
有識者がいたら教えて欲しいのですが、やっぱりこのCDって今からでも調べてみて聞いたほうがいいやつなのですかね。
これは先輩が海洋学(海についての学問)の教科書を遠くからプレゼントしてくれたときの写真なのだけど、ぱっと見、首が届いたのかと思った。箱で来てたらちょっと怖かっただろうな。
僕はこの足し算を信用しておらず、カツカレーも失敗の食べ物だと思っている。だってカツもカレーも単体で食べたときのほうがおいしいし、1+1で言うと1.7くらいにしかなってなくないですか? カツカレー。
0.3のぶんがもったいないよ。