- 音楽の記憶
僕が持っている一番古い音楽の記憶・・・、なんだかわからない。どれが一番古いのかわからない。こんな光景。
ピアノの椅子が高い。よじ登れない。アップライトピアノの鍵盤を見ることもできない。でも鍵盤の構造は知っている。手を伸ばせばぎりぎり届くし音を鳴らすことはできる。多分黒鍵も。自分で鳴らしたい音を捜し、自由に、自分が思った通りに弾く。曲を弾いていたのかどうかはわからない。でも楽しい。まだ幼稚園にも行ってなかった頃だろう。一日中ピアノで遊んでいた。
五線紙がある。全音楽譜出版社の楽譜を見よう見真似で写したり、加線が好きで、何本も引いていた。メトロノームの最速が208だから208をよく書いていた。数字があれば必ず足し算もする。調号には何か規則があるらしいとは思いながらも、それはわからないので、適当に書く。良い曲が書けると信じていた。
部屋にいて、二段ベッドの下でお母さんがいる。お母さんは椅子に座ってCDをかける。ヘス編曲のバッハカンタータ147番のコラール。「主よ、人の望みの喜びよ」という題名も好きだった。短調になるところがすごく切なくて、身がよじれるような感覚。それからショパン。ノクターン、バラード、ずっと好きだった。
先生について、40分のレッスンのうち、半分は楽譜を書く時間。防音室のなかにグランドピアノがあって、引き出しのような机。弾いたり書いたり。終わったら姉のレッスンを待つ。火燵の中でぬくぬくと。防音室から聞こえるピアノの音でうたた寝。
どれも4歳で幼稚園に入る前の話。ひらがなも知らない頃。頭の中は、ピアノと数字でいっぱい。ピアノは大好き。数字で遊ぶのも大好き。五線紙を前にすれば一流の作曲家になったつもり。将来はピアニストか算数博士になりたいと思っていた。宇宙にも出てみたかった。
自分のことが大好きで、この世界も大好き。外に出て、優しい太陽の光と、涼しい風。地面に顔を付けて、蟻と同じ視線で蟻と遊ぶ。隣の家の庭の花を一つ失敬して蜜を吸う。庭の草をじっと眺める。
家の床の模様に規則を発見しようと必死。床にビー玉を転がしたりする。飽きたら数字かピアノ。ふと思い付いたら五線紙。犬と戯れたりもする。
犬に乗ろうとしても逃げられる。散歩で引き合いになったら良い勝負。
近くの公園で高いところから町を臨む。
隣町の鉄道が見える。近所はほとんど草村。だってまだ新しい町。家も人も少ない町。知っている人は家族と隣と向かいだけ。
こっそり祖父母の部屋に入って、遊んでもらう。麻雀牌を使った簡易な遊び。
床の模様、壁の染み、土、昆虫、草、そういう小さなものが、どこまでも大きく見えて、どんな小さな世界が広がっているんだろうと想像。いくら見てもまだ先の小ささがある。
星を見ればその神秘と不思議さに圧倒される。
夜は祖母の語る物語
もしくはCDで聞くピアノ
布団の中に入って、世界で一番幼い自分。
「詰まった!!」という名前のブログの「音楽の記憶」という一記事。*1
ただ読んだだけでもとても面白いが、ブログのほかの記事をぱらぱらと拾い読みしていると、この作者の素性とか、どういうところに興味を持っている人間なのか、どういう考えかたをする人間なのか、ということがちょっとわかるのだけど、それを踏まえるとさらに味わいがある。
*1:引用中の空行はここのレイアウトで読みやすいように勝手に加えた。