キャラクターに尊厳があると考える立場の擁護

 

 A「フィクションのキャラクターには考慮されるべき尊厳みたいなものがあって、キャラクターを解釈したり再構成したりするときには、倫理的な配慮がないといけない」という立場とB「キャラクターは事実として存在しておらず、配慮されるべき尊厳もない。Aの態度は、自分の恣意的な読みを、キャラクターの尊厳が科す外部的な規律、という不適当に高い地位に置き、そのことで自分の読みの恣意性を忘れようとする好ましくないものだ」という立場がある。

 

 僕は個人的にはこれから説明するような理由で、Aの立場を部分的に支持しており、Bの立場には問題があると考えている。

 

1.倫理的態度は、対象が「生きているように感じられる」ところから生まれる。

 人間は「倫理的に配慮しつつ関わる対象」と「倫理的に配慮せずに関わる対象」を区別して生活している。前者のメジャーな例には、恋人、友人、知人、人間、動物などがあり、後者のメジャーな例にはぬいぐるみ、パソコン、ゴミ箱、植物、敵兵士などがある。(あくまでメジャーな例なので、例のそれぞれについて異論はある)

 

 では、前者と後者を分ける基準はなんなのか。こういう基準で区別すべき(たとえば、人間かそうでないかを基準にするとか)、という規範を与えて、それに従うべし、という形で決着をつけるよりも、実際にそれぞれの場面でどのように人が前者と後者を区別しているのかを考えるほうが、この問題へのよい取り組みかたであると個人的には思っている。

 

 対象を見て、対象とかかわり、おなじ時間を過ごすことで、対象が「たんなる物ではなく、なにかのための道具としてだけみなされたり、物理や他のなんらかの法則に従って予測可能な動きだけをするものではない」と感じ、むしろ「環境と複雑な仕方で相互作用し、内発的な目的を持っているように見え、予測不可能で生き生きとさまざまなことをする」と感じたときに、人間はその対象とかかわるときには倫理的に配慮しなければいけない、と感じる。*1

 

2.そこで描かれていることが「現実である」とする態度をとらないと、物語は経験できない。

 小説・映画・ゲーム・しゃべりといった媒体の違いには関係なく、物語というのは現実世界の似姿を提示する表現形式である。よって、物語を経験するには、その語られたことを本当のことだと信じなければならない。ゴジラなんているわけないだろ、と疑ってかかった場合は、その「ゴジラ」という作品を、その物語が要求するような形では経験できないのである。なんだか荒唐無稽な怪獣が出てくる映像、という形ではできるかもしれないが、それは物語の正式な経験ではない。

 物語を経験するためには、物語で描かれていることを現実の世界で起こっている出来事と同様に「真に受ける」必要があるのである。

 

 ……と、個人的には思っているが、フィクションの特徴として「語られていることを本当ではないと知りつつ、それが本当であるかのように受け入れる」をあげる有力な見解があって、僕の上の考えかたはこの有力な経験とちょっと食い合わせが悪い。

 この有力な見解は、現実世界の出来事とフィクションの出来事を区別することを目指しているのだけど、僕は、「物語を経験することは、(それを経験しているすくなくともそのときは)現実の出来事の渦中にいるときとまったく同じ水準で、本当のことが語られていると受け止める必要があり、実際に人々はそうしているし、それが「正しい」物語の受容である」と考えている。ゴジラがいると真に受けないと、ゴジラの話は楽しめないし、実際にスクリーンの前ではみんなそうしていると、個人的には思うのである。*2

 

3.キャラクターに考慮されるべき尊厳はありうる。

 よって、フィクションのキャラクターを目にするうちに、そこに複雑性や環境との予測不可能な応答などを見て、「実在しているっぽいな」みたいな感覚を感じた場合、それを現実世界で感じたときにするのと同じように、そのキャラクターに倫理的な配慮をしたくなる、そのことはまったくおかしくない。

 それは物語の「正しい」経験のしかたであり、「そのキャラクターは実在しない」という物語外の知識だったり、「それを感じるのは自分のエゴでは…?」といった疑念だけによって妨げられてはいけない。

 それは「自分の恣意的な読みを、キャラクターの尊厳が科す外部的な規律、という不適当に高い地位に置き、そのことで自分の読みの恣意性を忘れようとする」行為だと一概に言うことはできず、むしろキャラクターに尊厳があるということを前提にして物語と関わっていくことは、物語を経験する必要条件であり、じゃんじゃんやっていくべきである。

 

*1:なぜほかの考えではなく、こう考えるのかについても根拠のある個人的な考えはあるが、それまで書くと書き終わることができない。

*2:けど違うかもしれない、とも思う。