花の一年生

 

 小学校の入学式の日、私を待っていたのは、先生やクラスメイト達ではなくちいさな花壇だった。石段に囲まれていて、思い切りジャンプをすれば、端から端まで、そのころの私の脚力でもなんとか飛び移れるくらいの大きさだった。そこまで私を連れてきた先生は、「ここが○○(私の名前)さんの場所だよ」と言った。なぜ、私はみんなと一緒に教室に行けないのかが、そのころの私にはまだわからず、私はその日、おばあちゃんにその日一日あったことをなにも話してあげることができなかった。

 

 お母さんは、「ちゃんとお花の世話をするんだよ」と言った。私はふてくされて、私に与えられた世界を、ずっと死の世界のままに保っておこうと決意した。

 

 毎日、音楽の時間には窓から不揃いの合唱の声が聞こえ、体育の時間には弾むボールの地響きが聞こえてきた。私は土に指先を差しいれ、土の冷たさを楽しんだ。聞こえてくる合唱の声はいつのまにか凜と揃ったものになり、ボールの音の合間には、打ち解けた者どうしの笑い声や怒鳴り声が聞こえるようになった。季節は夏になり、それは土の涼しさが、一年でいちばん心地よい季節だった。

 

 ある日前触れもなく、クラスにいる人たちが私の花壇の前にやってきた。目は30対、手足はあわせて119本、脳はひとつの、ひと固まりになった集団だった。「今日は、花の授業です。花を調べてみましょうね」と先生が言い、日直がそれをくりかえした。理科の時間のようだった。ひと固まりの集団は、恐れや憎しみや猜疑心、好奇心や親近感や友好の目で私を見つめた。私は対抗姿勢をあらわにした。ひと固まりの集団は後ずさった。私が対抗姿勢を見せたことに、きっと驚いているのだ。

 私は、私の死の花壇が誇らしかった。あなたたちが見に来て、勉強をするはずの花たちを育ててこなかったことを誇りに思った。私がそう伝えると、事態はここで急に変わった。うっすらとあった、ひと固まりの集団と私の間の亀裂や相互疎外が決定的なものになった。

 

 その日から、集団は散り散りになって断続的に、私の花壇を訪れるようになった。私は無視をするか、対抗姿勢を見せた。ひとりひとりとなった集団だったものは、私が無視をしても対抗姿勢を見せても、変わらず、手のひらに握った種を花壇の土めがけて投げつけてくるようになった。はじめは、なにをされているのか私にはわからなかった。相談する相手もいなかった。いつのまにかおばあちゃんはいなくなり、いなくなっているあいだに死んでしまっていたし、そのころにはもう私は家には帰らない子供になってしまっていた。

 

 土から子葉が芽生え、さまざまな発色の緑に所狭しと成長していってからも、集団のひとりひとりは種を投げつけにやってきた。私は対抗姿勢を見せ、また、無視をした。理科の授業の名を借りても集団のひとりひとりはやってきた。しかしそのときはひとりひとりはおとなしいひと固まりの集団となり、じっと私の世界を見つめ、スケッチをした。スケッチのひとつは賞を取った。

 

 ひとりでいるとき、私は花壇の花を撫でながら水をやって世話したり、花びらをひとつずつむしっていじめたりした。できることの種類は多くはなかったからだ。

 

 冬になるとひと固まりの集団は教室にこもるようになった。試験の時期がやってきたのだ。合唱も、ボールの音も聞こえなくなったし、新しい種もなくなった。私は、花壇の命がひとつひとつ終わりになるのを見守った。集団はもういちどひとりひとりとなり、準備ができた順に、試験を受けに小学校を去っていった。去り際に、彼や彼女たちは私に手を振った。

 彼ら彼女らにとっては、私は敵ですらなく、ただの有意義な思い出だったということに、今さらになって気づいた。……それが今さらではなく、むしろちょうどのタイミングだったということに気づくにはそれからさらに何年もの時間が必要だった。私にとっての花壇の花々も、おなじような有意義な思い出だったのだから。

 

 私は彼ら彼女らのうち、顔が不細工なもの、力が足りないもの、足が一本しかないものを選んで、手を振り返した。手を振りながら、いつか大きな穴に落ちて、私が手を振り返した人もそうしなかった人も全員が死ねばいいのにと願った。そしてそのうちの何人かは、きっと願った通りになるだろうとも思った。

 

 1年が終わり、春の訪れが聞こえるころ、私はこの後どうなるのか、教えてくれる人は現れなかった。そうして、私の小学校の一年目は終わった。