魅力的な言葉、自分も使ってみたいと思うようなかっこいい言い回しは、はじめてそれを聞いたときのことまできちんと覚えているものだ。
だれかが、所属している職場を、やらなければいけない職務を放棄して、どこかへ消えて音信不通になってしまう、……という事態を指す言葉として「とぶ」というのがあり、僕がこの言葉をはじめて聞いたのはテレビ番組のなかであった。なんという番組のどの回でだれが言ったのか、まで強く印象に残っている。アメトーークの「マネージャーと2人3脚芸人」の回であり、言ったのはカンニング竹山だった。
カンニング竹山さんとマネージャーさんは同い年で、コンビだったカンニング中島さんと合わせて三人とも前の職場で「とんだ」経験がある、というふうに語っていて、その「とぶ」の使い方が、持っている語感の荒くれ感とは裏腹のウェットさがあってとても好きだった。
世の中には華やかな世界があって、そこで働いているひとたちは仕事をなんやかんやこなすし、無理なときでもしかるべき連絡と報告をして組織に大きな穴が開かないようにする。
でも、華やかではないところにいるようなひとには、やっぱりどうしてもいろいろなことができなくて、切羽詰まったときに選択肢も「とぶ」以外アンロックされていないようなどうしようもないやつがいる。そういうことをフラットに受け止めて、それでもやっていくしかないね、って感じがとても好きな温度感のやさしさだった。
そして月日がたって、やっとこの言葉を自分の言葉として使うときがくる*1。会社の年の近い先輩がとんだのである。なにかあったわけではなさそうなのだけど、ある日ぱったりとこなくなって、会社の中は苦笑いに満ちている。
会社で年の近い先輩が飛んだので、その先輩を詰めて拐って落とし前つける方策を会社の上のやんちゃな人たちがわいわいと議論している。
— soudai (@kageboushi99m2) 2020年10月12日
血の気の多いことを言うひとがいる一方で、「俺はちょっと残念っすけどね」「遅刻ばっかりでやばかったし、合わす顔がないんじゃねえの」といった、フラットさのなかにすこしだけウェットな感情がある声も聞かれて、これがやっぱり好きな「とぶ」のもつ語感だった。
僕もその話をするときは「とんだ」○○さんという表現をした。好きで憧れていた言葉を使うときはすこし緊張するものだけど、今回はやはりウェットな気持ちのほうが大きい。出張でドライブしたときに、けっこういろいろ話した先輩だったしね。
とび切るのか、謝って戻ってくるのか、どうなるのかはわからないけれど、当事者全員にとって悪くない形に収まりますように。祈っている。
*1:それまでに自分がとんだことはぜんぜん正直なんどもあるのだけど、自分がとんだ時にとんだってあんまり認めたくないですよね。認めて前に進むべきなのかもしれないが……。