イーストエンド・オブ・トウキョウ

 

 諸般の事情があって、東京都の東の端っこにある従兄弟の家に短期間仮住まいをしている。近くには、細長くて微妙に使い勝手が悪いスーパーと、個人営業の飲食店が数件あるのみである。

 

 ただ、その飲食店のたたずまいはけっこう魅力的だったので、そのうちの一軒、カフェに行ってみた。「俺、この店前来たな」と店に入った瞬間に気づいた。むかし武蔵野の路という道に興味を持って歩いていたことがあったのだけど、(この回)そのときにお昼ご飯を食べたのがたしかこのお店だった。

 そのときも不思議な雰囲気を良いと感じていた場所で、ブログに書くかもしれないし忘れないようにこの店のことも写真撮っとこうかな、と思って結局まあいいか、とやめたお店だった。

 

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 前回とおなじ席に座った。注文を済ませて、てきとうに視線をさまよわせていると、奥からお姉さんが出てきて「もしよかったら、テレビ、お客さんの好きなの見ていいですよ」と言われてテレビのリモコンを差し出されたのだけど、完全に予期していた。

 この流れ、前回もやったからな。「ぜったい、そろそろリモコン来るわ…」と思っていた。

 

 このお店、ちょっと奥のほうで店を経営している家族とみられる4名ぐらいがすでにずっとテレビを見ているので、すでにテレビの音が店に充満しているのにさらにまた俺がこの客用テレビつけるのかよ、と困惑したのも以前とおなじ。

 とはいえ、「テレビはいいです」って言って断るのもなんか尖っているので、とりあえず受け取って、興味はないけどてきとうに選局した。癒しの力を持つ死刑囚が、いじわる看守に踏みつぶされたネズミを生き返らせているところだった。

 

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 その映画を見たり見なかったりして視線をさまよわせていると、おじいさんがアルバムを持って出てきた。「お勤めはどこなんですか?」と話しかけられる。「上野です」と答える。「ああ、それじゃあ、ここ知ってるんじゃないですか」

 そう言って白黒の風景写真を見せられる。都電が走っていて「キャラメル」と書かれた高いタワーが映っている。上野公園の西郷隆盛像あたりから、おじいさん本人が撮った写真らしい。さらにページをめくると、そこには日の丸を胸に付けた陸上ユニフォームで、列をなして走っているひとが映った白黒写真があった。東京オリンピック聖火リレーの写真だという。

 

「2回もオリンピックの写真を撮れたら、死んでもいいと思ってたんですよ」

 

 くしくも今日は、開会式があったはずの日である。来年絶対撮りましょうよ!と僕が薄っぺらい相槌を打ったら、おじいさんは「来年もないと思うけどね。それに私ももう脳梗塞をやっちゃってね。気圧が低いと気分が悪くて。外に行きたくないし、来年には死んでるんじゃないかね」

 「そんなことないですよ。ぜんぜん大丈夫ですよ。ご自愛くださいよ」とは言ったものの、本人がそういうのならそうなのかもしれない。

 

 しとしとと雨が降っていて涼しく、もしやっていたら、懸念されていた暑さ問題とは無縁の大成功オリンピックだったのでしょう。

 

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 天ぷら定食、700円。配膳がめちゃくちゃだが、これはお盆を持ってやってきたおじいさんをなんとなく僕が手伝っちゃった結果こうなったので、お店のポリシーとかでは(たぶん)ない。

 

 前回はたしかから揚げ定食を食べたけれど、それにもついてきた、この漬物がおいしかったんだよなあとまた記憶がよみがえってくる。てんぷらのつゆがかなり甘くて濃い口。ご飯といっしょに食べると、天丼のような感じになる天ぷら定食だった。

 

 映画は進んでいき、ネズミと友達だった死刑囚が、乾いたスポンジで残忍に処刑されるシーンに差しかかっていた。

 本当に昔、5歳くらいだったころ、そのころはまだ生きていた父親とこの映画を見ていて、この処刑シーンで父親に「悪いことをするとこうなるんだぞ」と脅され、実際、そのあとは悪いことをするたびにこのイメージが頭によぎっていたことを思い出した。過去へのトンネルは生活のいたるところに開いているものである。

 

 サービスであたたかいお茶を出してくれたので、すこし居座ることはできそうだった。けど。なんとなく、ひとが死ぬシーンは見たくなかったので、早めに席を立つことにした。

 

 東京の東の端っこで過ごした、本当だったら東京オリンピックがはじまっていたはずの日の午後の出来事だった。