食べ物の写真を撮る

 

 

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 昔、先輩とご飯を食べに行ったとき、おしゃべりをしながら注文をして、おしゃべりをしながら待って、頼んだものが運ばれてきて、食べはじめるまでのあいだに僕がなにげなく食べ物の写真を取ったら、「え? ○○(僕の名前)くんって食べ物の写真とか撮るんだ?わら そういうこと絶対しないタイプだって思ってた。わら」と言われて、これから先、なにがあっても、ご飯を食べるまえには100%かならず写真を撮ることを心に誓った。

 

 そのため、僕のiPhoneにはかなりの量の食べ物の写真がある。そもそも食べ物も、写真もとくべつ好きということはないので、おいしく見えるように撮るとか、フィルタで加工してインスタにあげるとか、ライフスタイルを演出するとか、それ目当てにおいしいものを食べに行くとか、そういうことはしなかった。

 ただ、あのときの決意だけがすべてで、こころの炉の火が消えないように世話をしながらずっと、忘れずに写真を撮るようにしているうちに、なんとなく染みついた習慣になってきた。

 

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 ただ、2,3か月前くらいに、「なにもそこまで意地になることもないのではないか」とふと思って、それ以降はぱたんと撮らなくなった。

 終わるときは一瞬だったが、心残りは後を引く。いまだに写真を撮るまえに食べ物に手を付けると、一瞬、ちょっと、あ、やっちゃったと思うけれど、それも悪くない後遺症である。

 

 撮らないことにしてしまったのだから、そのぶんちゃんと味わって食べよう。頭のなかに、味を記憶として残して、食べ終わったあともこの食べ物を食べたんだってことを忘れないようにしよう。そう心がけるようになって、食事をとることに対する解像度はむしろ上がったような気もする。

 

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 こんなふうに、食事の写真を並べているが、これがどこで食べたなにで、そのときどんな気分でどんな味がしたのか、まったく思い出すことができない。こんなに写真を貼っているのに、これらの料理の個別具体的なエピソードトークをなにもすることができない。

 このブログでは、こうやって何かを列挙していったら、そのときの思い出話をするのが通例なのですが、それがまったくできない。

 

 ただ、どんよりとした写真が並ぶだけである。撮影者の、こころの状態を映し出すような。

 

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 (ここにうどんと、「どんより」をかけたひと言があったが、今朝見て削除した)

 

 まあ、ネガティブなことばかり言ってもしょうがないので、これからは食べるということ、食べ物を撮るということにもうすこし向き合っていきたいですね。これまで出会った食べ物にもちろん罪はなく、これから出会う食べ物はまだなんの意味づけもされておらず、真っ白で待っているのだから。

 

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 つぎに食べ物の写真を撮るときは、もっと素直な気持ちでいたい。