最初の回を公開したのが去年の5月20日だったので、すでに367記事を書いていることになる。一周年記念をやりたいのだが、まだ250回記念が終わっていなかったのでそれから消化していきたい。100回記念でもやったように、これまでをふりかえって自画自賛していく。
「友達がいない」という自虐ネタをよく言う。……実際にはたぶん、客観的に見て僕に友達がいないということはなく、ひょっとしたら友達がすくないというわけでもなくむしろ全体のなかでは多いほうなんじゃないかとすら思っている。そんな状態で「友達がいない」を自称するのは、僕の友達にたいしても、実際に友達がいないひとにたいしても失礼なのではないかと指摘されたらなんの返事もできない。
ただ、ひとつだけ言うことがあるとすれば、「友達がいない」という言葉で言いたいのは、たんに客観的な数字のことではないのである。これは友達がいないような人間が持っている、ある種の暗くて卑屈な性質を表したくて使っている言葉で、人生のある時期にほんとうに友達がいない状態を経験した人間は、そのあとにいくら友達ができても、刻印されたその性質を逃れられないのである。
では、その性質とはどのようなものなのか。この記事で書いたようなエピソードが、その典型的な一例になっているのではないかと思う。
そのときに見た映画について書いた回なのですが、記事全体にメタ的な仕掛けを入れることができたので気に入っている。このように、内容よりも形式に凝るほうが好き、という個人的な趣味がある。
この回で取り上げている「カメラを止めるな!」という作品も内容というよりは形式の面に特徴がある作品で、内容というよりは形式に特徴がある作品を、内容というよりは形式に特徴があるレビューでレビューした、ってところが自分でも気に入っている。
中身自体をとくべつ気に入っているわけではないのだが、ほとんどだれも知らないひとについての回なため、このブログの検索流入のほとんどをこれが占めている。基本的には僕のTwitterを知っているひとしか来ないブログであり、僕も知り合いしかいないというつもりでやっているので、たまにこういうことになるとかなり気恥ずかしい。
できればほかのページは見ずにすぐ帰ってもらいたいところだ。
今回の就職面接は話の流れでブログを見せることになり、しかも採用担当者が興味を示したのがよりにもよってSMの回で、目の前でめちゃくちゃ音読されたのやばかった。ブログまじで書かないほうが良い。
— soudai (@kageboushi99m2) 2020年1月29日
結局、このときの会社で働くことになり無職を脱することになった。あまり見てほしい回ではないが、ひょっとしたら僕の人生に大きな影響を与えた回だったのかもしれない。