コミタスさん

 

 アレクサンダー・コミタスさんというひとの手になる「交響曲第三番 コミタスへ捧ぐ」という楽曲を、早起きして聴いていた。

 日中は祖母の観るワイドショーとケーブルテレビが、夕方以降は母の観るドラマとバラエティ番組が、深夜帯には弟の観る欅坂46が、バトンタッチしながら途切れなく流れている我が家では、なにかを真剣に聴こうと思ったら早朝しかない。

 

Alexander Comitas(1957~)はオランダの作曲家。吹奏楽のみならず様々な編成、形態の作品を手掛ける。本名はEduard de Boerといい、Alexander Comitasというペンネームはオランダのピアニスト、作曲家Sas Bunge(Ernst Alexander Bunge)とアルメニアの作曲家、民俗音楽学者Komitas の2人から取られている。

Komitas (1869~1935)はアルメニアの作曲家、民族音楽学者。孤児となり神学校にて学ぶ中でその音楽的才能を見出され、アルメニア民謡の収集を始める。その後ベルリンで西洋音楽を学び、コンスタンティノープルに拠点を移し音楽活動に勤しむ。後述するジェノサイドに巻き込まれた後、回復することなくこの世を去る。

 この楽曲を日本初演した大阪大学吹奏楽団のブログ「銀杏橋」の2018年12月25日付の投稿*1より。プログラムが全文掲載されているようで、詳しい聞きどころが書かれていて非常にためになった。

 

この交響曲はComitasがKomitasへ捧げた曲であり、アルメニアの民族的なメロディがふんだんに盛り込まれている。Comitasはこの曲以降、“Alexander Comitas”という名前の役目は果たしたと言いこのペンネームを使うことをやめた。

 上記のブログより。ちなんだ名前を「役目を果たした」と言って使うのやめるのちょっと面白いエピソードな気がする。

 

19世紀アルメニアの修道士にして高名な作曲家、コミタス(1869-1935)の生涯を緊密で官能性ある幻想的なタッチの映像で綴り、1915年トルコで虐殺された200万人のアルメニア人に捧げられた映像詩。

(…)

ちなみに、映画の背景となったトルコによるアルメニア人虐殺の際、コミタスは故郷を追われ、流浪のさなか同胞の殺戮や惨殺死体などを眼のあたりにするという悲惨を極めた体験の後、精神を病み、晩年の20年間は作曲活動も行わないまま、入院先の病院で亡くなった。

 調べてみると、彼の生涯を題材にした映画があるらしい。コミタス | 映画-Movie Walkerより。観てみたいけど、ふつうに観るのはおそらく難しそう。名画座や映画祭のアカウントを見張ろうかな。

 

人々は種々の試みをした。オルガンのまえに座らせたが、立ち上がって去った。レコードを掛けたが、聴く様子はなかった。膝の上に民族楽器のタルを置いてみた人もある。たいせつそうに脇へのけた。

 リシャルト・カプシチンスキの『帝国』という本のなかに、精神を患ったあと、何もしゃべらなくなり、音楽もやめたコミタスの様子が書かれている。

 

沈黙し、ただ注視していた。見ることは見ていたらしい、見舞った人々の話では、いちいち顔を見つめていたという。

  コミタスさん……。