エミール・ゾラの『水車小屋攻撃』という短編集を読んだ。高校時代に世界史Bを頑張ったひとであれば、『ナナ』『居酒屋』といった代表作や自然主義文学という文化史用語とともにペアにして暗記したことがあるかもしれない。
僕は新しいもの好きなので、ふだんはあまり古典を読まないのですが、たまに読むとやっぱり面白くて困っちゃいますね。8篇の作品が収録されているが、そのうちとくによかった3作品について書きます。
「水車小屋攻撃」
表題作となっている作品。最初この字面を見かけて、「パン屋再襲撃」が持っているのとおなじキャッチを感じて、それでこの本を読もうと思った。
「二時間後に銃殺とする」
ふたりの男女が結婚することになっていた小さな村が戦争に巻き込まれる。男は武器を取って戦うが、そのことがもとで占領軍に銃殺刑を宣告される。女は男をなんとか森へ逃がそうとする。メルニエ爺さんが愛する水車小屋は、銃弾をその身に受け続ける。
要素が構図のなかでぴったりの場所に配置されていて、とてもとても端正な作品。
「ジャック・ダムール」
やや家庭を顧みないところはあるけれど、家族への不器用な愛情を持っていて、基本的には臆病だけれど、戦うときには戦うことができる、気難しく素朴なひとりのパリの職人を主人公にした歴史大河小説を濃縮したような短編小説。
「肉屋を屠殺してやる…… 自分の番がまわってきたってわけさ、そうだろう?」
もうこれはほんとうに面白い。能力的には平凡だったけれども、つつむ運命は非凡だった男の、納得のいく敗北の形が見れる。弱い男ができる限りの(しかし英雄的ではまったくない、あくまで弱い人間にできる限りの)抵抗を見せたあと、ぼこぼこに打ちのめされて負けてそれなりの場所へ流される、というお話が好きすぎるんだけど、ひょっとしたらおなじことが自分の人生に起きないか期待してしまっているからなのかもしれない。
「ある農夫の死」
70歳になった農夫がある朝動けなくなって、そのあとしばらくして死ぬ。ドラマ性とかはとくになく、ただふつうに死ぬだけのお話。
誰でも知っているように、いったん体のなかに死が入り込んだら、薬でも十字のしるしでも追い出すことなどできやしない。雌牛ならまだ看病する意味はあるだろう。もし助けられたら少なくとも四百フランは儲かったことになるのだから。
ゾラのサイン。