ネタ切れというよりはたんに僕の活動量の低下が問題で、さいきんなかなかこのブログを書くモチベーションがなかった。苦しまぎれに質問を募集してみたところ、やはり苦しまぎれ感というのは伝わるものなのか、みごとにほとんどなにも来なかった*1。やはりこういうのは積み重ねによる信頼感が大事で、たまに思い出したようにやっても不誠実なだけですね。
とりあえずひとつ答えて質問箱ツイートを削除したんですが、そのあといくつか来ていたので、そのうちのいくつかに答えようと思います。
じつはこのブログは2015年くらいからあって、その当時なにかを書くまでには至らなかったのですが、その二年後ぐらいに2,3個好きの詰まった記事を書いて飽きて、そのあと2019年5月にその個人的レガシーを再活用していまに至ります。ブログの名前を決めたのは2015年なので、なかなか当時、なにを思ってこれを名前にしようと思ったのかは思い出せません。
タイドプール(英: Tide pool)とは、岩礁海岸や干潟の潮間帯において、干潮時に岩や砂泥底などの底質のくぼみに海水が取り残されてたまったもの。潮だまりとも呼ばれる。(ウィキペディア「タイドプール」より)
ただ、タイドプールという語には個人的な思い出がいくつかあります。いちばん古い記憶が、たぶん小学校の低学年のころ。母方の祖父母宅にあった、身近に触れ合える魚を集めて紹介する本を見て、そこにある「タイドプールに住む魚たち」のコーナーがとても印象に残ったんです。そして偶然そのちょっとあとに、親と親の友達が参加するビーチパーティーで、実際のタイドプールの魚を網で子供たちみんなで捕まえる会があったんですね。
満潮になって海岸に海水が満ち、「それは良い!」と陸側に出張してきた魚たちが、潮の引きとともにくぼみにとり残される。くぼみは地上や地下で繋がっていたりして、広いところ、最終的には海にまで通じるところもあれば、ひと目で視界に収められるくらい狭くて浅いところもある。一時は閉じ込められた魚や貝たちも、つぎの満潮が来ればまたべつの場所へ移っていく。そんな雰囲気がイメージできて、とても好きでした。
そのあと、時間がたって僕も成長し、5・7・5・7・7で知られる短歌を作り出すのですが、生まれて9番目に作った歌がこのような歌でした。
ぼく魚 タイドプールに残されて星と星とを繋いでいたのさ
この歌のフレーズをちょっといじったのが、ブログタイトルの直接の由来になります。しかし、なぜこれを選んだのかはよく思い出せません。ほかにも思い入れのあるワードっていろいろあると思うんですけどね。
東京にはたくさんひとがいるので偶然会うのは難しいですが、上野や町屋だと比較的出現率は高いかなと思います。
ないしょです。
今後も、良い質問があればぜひ訊いていただけると助かります。なくても頑張ろうとは思います。
*1:一個だけ来た。