山が怖い

 

 とはいっても登山はけっこう好きで(数をこなしているわけではないが)、2年前の夏には富士山にも登った。登ろうと決めたときには「日本で一番高い場所に行くという実績解除をするのもいいな」くらいのモチベーションだったけど、実際に登ってみるととても楽しい。

 

 山が怖いというとき、怖いと言っているのは地上から見る山である。あんな大きすぎる障害物が地上にあることがとても怖い。

 

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 けっこう旅行をすることが多いんだけど、海岸線を離れ、山に囲まれた土地に入っていくときはいまでも緊張する。見回すと周囲が山だらけ、というような盆地に来ると「ここからは帰ってこれないかもしれない」というような本能的なアラートがかかる。もちろん、そんなことはないんだけど。

 

 はたして、この恐怖の由来はなんなのだろうか? ……ひとつの仮説がある。

 

 昔、松本で育った友人と旅行に行って、海沿いの民宿に泊まったことがある。駅から民宿までは30分ほど歩く必要があった。時間帯は夕暮れで、目的地に近づけば近づいていくほど、あたりは暗くなっていった。海は見えないけれど、海がだんだん近くなってくることは聞こえてくる波の音で分かる。

 

 そのとき友人が「俺、波の音が怖いんだよね」と言った。「地元では聞かない種類の音だから、いまだになんか慣れないし、命の危険すら感じる」のだという。僕にはその逆があるということをその友人に伝えた。友人は「たしかに、それはわからなくもないけれど、俺にとっての山はその先に東京とか、知らない都会、その先のステージがある場所だから、障害物というのとはちょっとイメージが違うかもしれない。風景の端っこのどこかに山が見えると安心するかもしれない」と言った。

 

 ひょっとしたら僕にとっての海もそんな感覚だったかもしれない。沖縄に生まれて、海から徒歩1分の家で育った僕にとっては、海岸線は無条件で心が落ち着く場所だし、どこにいても視界のどこかには必ず水平線が見える。水平線は脱出口だ。海は障害物ではなく、その先にべつの世界が広がっているということを確信して知っている。一方、沖縄には山に囲まれた土地というものは(たぶん)ない。

 

 このときの友人との会話をよく覚えていて、いまも山を見たり海を見たりするたびに思い出す。いまだに山間部に行くと緊張するし、閉塞感・監禁感を感じてしまうが、同時に、そこに住んでいる人たちはたぶんこの逆のことを感じているんだろうなと思って、そういう違いっていうのは、なかなか良いものだなあと思ったりもする。