練習して絵を上達させることができるように、想像力も練習すれば上達させられるのだろうか?
本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間
- 作者: ピーター・メンデルサンド,山本貴光,細谷由依子
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2015/06/27
- メディア: 単行本
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もとの英語のタイトルは、「What We See When We Read」。このタイトルがこの本の内容を完璧に表している。小説を読むとき我々は多かれ少なかれ、小説によって描かれている情景を頭のなかでイメージするはずである*1。
ではそれはどのようなものなのか。小説を読むときに、我々はなにを見ているのか? この本では本の装丁家である著者のピーター・メンデルサンドさんが、本を読んでいるときに、すくなくともメンデルサンドさん自身に起こっていることについて、その思索を、ビジュアライズされた形で提示している。
文章を読む経験を、イケイケのデザイナーがビジュアルで提示する。これはかなり興味深くて、じっさい個々のビジュアルもかっこよく、デザイン集としても読めるのかもしれない。
文章を読むときに我々が見るもののことをグラフィックで表現した本の、いくつかのページを、ここでは文章だけで説明してみることにする。
106、107ページ
読むということは、いくつもの、経験済みの現在の「連続」ではない。
読書の経験のなかに現れる時間の様相を考察した章の見開き。短い一文が右ページの中段中央揃えで置かれ、左のページには、三本の時計針が、様々な濃さで書かれた「現在」という文字のみが並ぶ文字盤の上で静止している。
160、161ページ
(読者は指揮者であり、オーケストラであり、観客である)
Performance(演奏)と題された章に属する見開き。左のページには「読者が本の解釈を演奏する」という主題の文章があり、右のページには、黒の背景から透明色で抜かれた指揮者のイラストレーションに、コンサートホールを埋め尽くす観客の背景が合成されている。
324、325ページ
言葉が透明のように思えるのは、その構造と目的のためであるが(言葉はシニフィアン[意味しているもの]である)、同時に、読書する行為が習慣的なものだからだ。私たちは「矢」を見慣れているので、示された方向だけを見ることができるのだ。
325ページには矢印がひとつだけ描かれていて、となりのページにあるこのパラグラフを指し示している。
こちらがメンデルサンドさんが装丁を手掛けた、W.G.ゼーバルトの『移民たち』。ほかにも、こちらのページに、著者がデザインした表紙が並んでいる。
*1:きっとここには個人差があるはずで、じつは僕は小説を読むときにほとんど映像を頭のなかでイメージせず、テクストをテクストのまま理解する。