読みやすいということは良いことだ~若竹七海『ぼくのミステリな日常』~

 

小説は順調に進んだ。探偵役の農業大学の教授はもらったばかりの妻に満足し切って、嫌みではない程度に新婚生活を楽しんでいるし、謎は残酷ではないが興味深く、登場人物は生き生きとしている。

ルネッサンス」1991年3月号より「吉凶春神籤」

 人生で最初に読んだ、子供向けではない本が『三毛猫ホームズの追跡』であった。その結果、高校の2年生になるまでの僕は基本的に、小説といえばミステリを読んで過ごすことになる。

 その時代にミステリはひととおり通過していて、この若竹七海という名前ももちろん、「日常の謎」とか「コージー・ミステリ」とかのタームとともに想起されるくらいおおいに知っていた。たぶんアンソロジーかなんかで短編を一作くらいは読んだこともあると思う。ただまとまった一冊の本として読むのは初めてである。

 

ぼくのミステリな日常 (創元推理文庫)

ぼくのミステリな日常 (創元推理文庫)

 

月刊社内報の編集長に抜擢され、若竹七海の不完全燃焼ぎみなOL生活はどこへやら。慣れぬカメラ片手に創刊準備も怠りなく。そこへ「小説を載せろ」とのお達し。プロを頼む予算とてなく社内調達ままならず、大学時代の先輩に泣きついたところ、匿名作家を紹介される。かくして掲載された十二の物語が謎を呼ぶ、贅を凝らしたデビュー作。

 

 著者と作中の主人公の名前がおなじなのでそこにまずびっくりするかもしれないが、これは(たぶん)エラリイ・クイーンから始まるミステリの伝統で、そこまで珍しい事態ではない。その若竹七海が、大学時代の先輩に原稿を依頼する手紙からこの本は始まり、そのあとは、実際に社内報に掲載された(というていの)短編ミステリが一年分、12本並ぶ。

 それぞれの短編は独立したお話だが、最後にそれらのお話のなかに隠されたひとつの謎を若竹七海が暴く、「ちょっと長めの編集後記」というセクションが現れ、さらに一枚の手紙が付け加わって作品は終わる。

 

 ミステリ界隈ではたしかけっこう名前の知られた名作であり、全体の構成を使った謎解きの仕掛けはオンリーワンではないと思うけど、なかなかどこでも読めるようなものではない。この辺は普通に傑作だった。

 

 もうひとつ良かったのが、それぞれの短編のちょうどよさ。ミステリとして特別完成度が高いわけではないと思うんだけど、けっこう毎回毎回気になる、お話として面白いお話が並んでいて、かといって気になりすぎて身構えてしまうほど面白い雰囲気を漂わせているわけではなく、本当に社内報に乗っている気軽な、読んでも読まなくてもどうでもいいような短編小説という感じで、それがとても良い。

 そんなちょうどよくどうでもいいけどそのおかげで読みやすいお話を、丹念にたどっていくとひとつの謎が見つかる。非常に心憎い作りですね。