耳なし


 お客さん、「耳なし」って話ご存知ですか?

 あ、すみません。……なんだかお暇そうにしてたので、つい声をかけちゃって。よかったら暇つぶしにでも聞いてほしいんですけど。……あ、いや、話っていうほどたいした話じゃないんですけどね。

 僕、午後はここでお店をやってるんですけど、午前中はヒマで、よく散歩に行くんです。

 ちょっと前に、朝から急に大雨が降った日がありませんでした? あー、憶えてないですか。その日も僕はちょっとこのあたりを散歩してて、それで急に雨が降ってきたんですから、傘も持ってなくて、あわてて、あの、向こうのお弁当屋さんの近くにあるバス停で雨宿りしたんですね。そしたら先客がいて、……女子高生だったんですよ。制服を着てて、びしょびしょになってて。

 僕ってまあ、男でロングヘアーをやってるんで、たまに職質とかされたりしちゃうんですよ。おかしいですよねー。仕事柄やっぱり髪型をちょっと特殊なのにしちゃうのはしかたないし、べつに、ちゃんと手入れしながら伸ばしてるんで清潔感とかもそんなに損なわれてないと思うんですけど、……あ、本当ですか? ありがとうございます。

 あ、で、すみません。話戻りますね。……まあ、そんな見た目だったんで、あんまりおどかしても悪いなと思って、…あ、その女の子を。……はい、普通の女の子でした。髪の毛もここぐらいで、そのままぜんぶ下ろしてて。色とかも入ってなかったし。いたって普通の、真面目そうな。……うーん、どうだろう。さぼってるって感じじゃなさそうだったんで、雨でちょっと遅刻でもしちゃったんじゃないですかね。……あ、まあ、それで、僕はベンチに座らないで、屋根のあるギリギリのところに立ってて、スマホをいじってたんですよ。イヤホン出して、音楽とか聴いてたんですね。

 ただ、なんか見られてるなー、って感じはしてて。

 そしたら、急に話しかけてきて。

 「耳なし」って知ってますか? って。

 「この辺でよく言われている話なんですけど。……えっと、こちらの方じゃないですよね?」

 僕のことを遠くから来た人かなんかと勘違いしてたんですね。まあ、ここでサロンを始めて2年くらいになるんですけど。でも、ちょっと気になったんで、旅行者のふりして話聞いてたんですよ。……あ、前髪カットしますので、目つぶっててくださいね。

 それで、女の子が言うわけです。「そんなにちゃんとした話ではないんですけど、ただ、『耳なし』の話をしている人たちがいると、背後に来るらしいんですよ」

 でももう僕はその子の話にはもう集中できなくなってて。

 なんでかって言うと、いるんですよ。そのびしょ濡れの女の子のすぐ後ろに。作業着で、鋏を持ってる誰かが、いるんですよ。ハサミって言っても、こういうハサミじゃなくて。枝を切るときとかの鋏を持った人が。

 それで、そいつが刃先で女子高生の耳元の髪をいじるんですね。僕もう背筋、……っていうか首筋のあたりが寒くなって。その子の髪がかきあげられたんですよ。ただ、ひっかからずにするっともとの位置に戻っていって。……意味わかります? 無かったんですよ。その子に、耳が。

 僕はもう、なにがなんだかわからなくなって。……めっちゃびびってたのがわかったんでしょうね。その子が話をやめて、自分の背中を指さして。

 「あ、後ろにいますよね。知ってます。――噂してると来るんですよ。『耳なし』って。お兄さんの背後にもいますよ」

 あ。じゃあ、いま僕の首とか耳のあたりが寒いのって、鳥肌じゃなくて、……金属が当たってるんだって、そのとき気づきました。そしたら、女の子が言うんですよ。「お兄さん、耳の形綺麗ですよね?」って。

 あ。でも、後で知ったんですけど。

 耳なしに絡まれても助かる方法がひとつだけあって。話し相手のじゃなくて、自分の背後にいるほうの「耳なし」、――そいつと目さえ合わせなければ、無事で済むんですよ。あれ、ふり返ったらダメだったんですよねえ。

 じゃ、前髪カット終わったんで。いったん目開けて鏡で確認してもらえますか?

 店入ってきたときから思ってたんですよね。

 お客さん、耳、綺麗だなって。