『青が破れる』

 

ひとを殴る覚悟は、ながい時間をかけて育て、スタミナと手数でその真実を補強しなければならない。ひとがおもうよりずっと人間にダメージを与えるのは難しい。一発殴るなら、かならず五発十発と殴りつづける覚悟がないと、一発すらまともなパンチは出ない。

ラブ・レターには二種類ある。最初の三語を書いてもまだ思いを口に出せないなら、どこまでも書きつづけること。

リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』

 最寄り駅が町屋になったので、記念に町屋良平の小説を読んでみることにした。最近、『1R1分34秒』というちょっと目を引かれるタイトルの小説で芥川賞を受賞した。

 

青が破れる (河出文庫)

青が破れる (河出文庫)

 

 文藝賞を受賞したこちらの作品でも、ボクシングがモチーフに使われている。主人公はプロになることをなんとなく目指しながらトレーニングしているボクサーで、友達と一緒にその友達の彼女をお見舞いに行く。その彼女は(作中ではとくに病名は明らかにされないが)重い病気で入院していて、余命がほとんどない。そんな設定のなかで、主人公が人妻と恋愛したり、ジムの後輩の才能あふれるボクサーとスパーリングしたりする日々を描くお話。

 

ひとの感情に、いちいち対処しなくてもいい、とおれはおもった。それは途方もないから。

「他人に関心があるひとのかなしみを、他人に関心のないひとのかなしみを」

「は?」

「秋吉さんはどっちもわからない。だけど、それがおれはやすらぐから」

 できるだろ? 内緒、とくいだろ?

 「人生だ…」「人生を感じる」といった言葉づかいにはまっている時期があった。ゴミがばらばらに散らかっている部屋を見たときとか、街中で厄介な目立ちかたをしているひとを見たときとか、ラーメンが運ばれてきたときとか、まあなんとなくフィーリングさえ合えばいつでも使えて笑える面白い言葉だった。ほかにも、友人から、ぼくには直接は関係ないその人の個人的な難しい話を聞かされたときとかによく使った。相手の抱えているものへの最大限の承認と肯定、共感を響かせつつ、それでも、そのひとの人生に敬意を表するという名目で、その難しい話に直接自分が介入することは保留する。そのシチュエーションでは、このようなニュアンスで使うことができる。

 

 「青が破れる」は、「人生だ…」とふと呟いてしまうときのことを書いている小説なのかな、と思った。物語としてはあまり完成度は高くなく、使われている道具立てはいいい言いかたをしてシンプル、というよりは悪い言いかたをして粗末、と言うほうがしっくりくるように思う。描かれているそれぞれの内容は未整理で、それが集まっても、作品としての自立性をもった構造体になっているような雰囲気はまったくない。

 

 しかしそのつたなさが、真実を描くための必要条件になることだってあるでしょう。クラシックスに名を連ねることはないと思うが、かわりに、この物語を必要としているひとには切に届く、そういうタイプのお話でした。

 

けっきょくなにかをかんじそうになったら、走るしかないから。