偽記憶について

 

 僕は9歳のころに父親を亡くしていて、その父親が亡くなった当日の夜からその朝にかけてのことをかなり鮮明に憶えている。また、憶えていることのほかに、その当時は認識していなかったかすぐ忘れてしまったかしたけど、その夜についてあとから知識として知り直したこともあって、このふたつは区別して書くことにする。括弧のなかの記述が、後から知ったこと。

 

 その夜は父親が夜遅くまで帰ってこない日で(友人の結婚式に出席していた)(いま書いていてはじめて気づいたけど、父親と母親はおなじ高校の同級生で、高校時代から交際していて、交友関係もけっこう重なっているという印象だったんだけど、なんで父親だけ結婚式に出ていたんだろ。たまたま母親は呼ばれるほどのなかではなかったのか、子供がいたから母親は辞退したのか)、母親の仕事終わりも比較的遅かったので、夕食はピザーラでピザを注文した。ピザが来るより前に電話が来て、母親に連れられて弟と一緒に車に乗って病院にいった。この時点では詳しい内容は僕には知らされていなかった。なにか雰囲気は感じとっていたとは思うけど、とくに特別な行動を起こすことはなく、カローラの後部座席で弟とふつうに遊んでいた。

 

 病院には父親のラグビー部時代の友人が集まっていた(高校時代の友人の結婚式にみんな出席していたのですぐに集まったみたい)。父親の母校のラグビー部はシーズンのたびにビーチパーティーをしたりそれぞれの新築祝いをしたりと家族ぐるみでの付き合いがあった。「中学入ったらお前も絶対にラグビー部入れるからな」とおじさんたち全員から脅されていたので、父親の友人たち全員に対して普段からめっちゃびびっていた。病院の治療室の前の廊下で母親は僕と弟をラグビー部のおじさんたちに預けて、カーテンの向こう側に入っていった。ラグビー部のおじさんに「お前のお父さんはよ、車に弾かれたわけさ。けどさ、おい、おまえ聞いてるか? ちゃんと聞けよ? お前は知ってるだろ? お前のお父さんは強い。いま、生きようとして必死に戦っているわけさ。だから、心配することはない。お前のお父さんは骨が肺に刺さって、生きようとして、必死に戦っているから」と言われて、ここではじめて父親になにがあったのかだいたいのことを聞いた。(結婚式でお酒を飲み過ぎて、帰り道の横断歩道の上で寝ていたら轢かれたらしい)ラグビー部のおじさんたちは僕を安心させようとしてなのか、それとも取り乱して暴れないように抑えるためなのか、僕の肩をそれなりの力で捕まえていた。

 

 しばらく僕は捕まったまま立っていて、そのあと、なんでそうしようと思ったのかまったく思い出せないんだけど、急におじさんたちを振り払ってカーテンの向こう側に行って、いろいろなチューブをつなげられた状態でベッドに横になっている父親を見た。そのあと、ラグビー部のおじさんたちに背中から捕まえられてまたカーテンの外に戻った。そのときの父親の姿をいまでもとても鮮明に覚えている。

 

 その夜はどうやって帰ったのか、母親も帰ったのかはよく思い出せないし、父親の死亡時刻が実際何時頃だったのかは知らない。(母親や親戚に聞けばわかるんだと思うけど、こういう話はほとんどしない)その翌日朝早く、喪服を着た「じゅんねーねー」と呼ばれている遠い親戚(実際にどんな間柄なのかは、知らない)で、父方の祖母といっしょに持ち帰り寿司屋をやっていた人、が車で迎えに来て、父方の祖母の家に行った。直接向かう前に近くのマックスバリユに寄って、「なんでもいいから好きなお菓子を買っていいよ」って言われて、大喜びでロッテの紗々を買ってもらった。祖母の家の玄関を入った瞬間に、最近結婚したばかりの父親の兄の妻が、びっくりするぐらい泣いて僕と弟のほうを見て、「お父さん、死んじゃった」と言って、そのときはじめて悲しいという気持ちが湧いてきて涙が出た。

 

 この夜のことはなんどもなんども自分のなかで反芻したので、頭のなかにしっかり固定された記憶になっている。なんでなんども反芻したのかというと、自分がその夜にとった行動のうちのひとつに、ひそかに誇りを持っていたからだと思う。もちろんそれは屈強なラグビー部のおっちゃんたちを振り払って、たぶんその場の大人たちは僕に見せたくなかったであろう父親の最期の姿を自分の力で見届けた、ということ。隣にいた弟には幼すぎてできなかったことを、僕がかわりにやれたということ。

 

 長いあいだそれに満足していたんだけど、ある日おかしなことに気づいた。目を閉じれば(べつに目を閉じなくとも)、僕はベッドの上でチューブに繋がれて薄ブルーや白のゴム布?みたいなものに体を覆われた父親の姿を鮮明に思い出せるんだけど、すこしアングルが高いような気がするんだよね。目を閉じる父親の顔全体がはっきり見える角度。そのころの僕は小さくて、おそらくドラえもんに負けるくらいの身長しかなかったと思うんだけど、それでも、記憶のなかの僕は、父親のベッドが自分の腰くらいにあるような高さから父親を見下ろしている。

 

 それはおかしいぞ、ということになって。当時を知る父親の友人や母親に、その夜のことをそれとなく聞いてみた。「俺って、お父さんが死んだときそばに駆け寄ったよね?」父親の最後の夜に、僕は確かにそこまでたどり着いたよって証言してくれる人は誰もいなかった。けど、そんなことはなかったと断言するひともいなかった。基本的にはみんな気が動転していて、あの夜のことについてはっきりとしたことが言えるひとはだれもいなかった。

 

 結局これを書いている今もはっきりと思いだせるあの夜のカーテンの向こうの、鮮明で手触りもはっきりしていて、音も聞こえるし激しくなっている自分の心臓の感覚も感じるくらいリアルなこの記憶が、実際どれほど真相と合致しているのかは結局よくわからないまま。昔は、これを偽記憶だと疑うのに抵抗があって、なぜなら、あのときの僕はカーテンの向こう側にいるお父さんのそばに行きたいって強く思ったはずなのに結局それができずに、かわりに英雄的な自分の行動の記憶をまるまる捏造したという、なんだかなさけない(僕らしいではあるが)人間になってしまうから。でもいまは、なんとなく、この記憶が偽物であっても、それはそれでそのころの僕の想いの強さ(こんな、いまでもはっきり再生できるくらいリアルな感覚の記憶を0から作り出しちゃうくらい!)が感じられて、それはそれでエモかわいいのではないか、という境地に至っている。