「ベスト・フレンド・フォーエバー」

 

ベスト・フレンド・フォーエバー

 

 インターネットの創作を読むのが好きなのだけど、そんな中で「どう考えても1回文学を通ってからここに来ているでしょ…」みたいな作品を見つけるととても興奮してしまう。

 

 「ガールズ&パンツァー」の二次創作作品である「ベスト・フレンド・フォーエバー」もそのひとつであり、最初のたった4(形式)段落で力を見せつけている。

 

 武部沙織さんは私の親友です。知り合ったのは私たちがまだ中学生のころ、登校中、曲がり角を曲がった拍子に、パンを咥えた女の子と出合い頭勢いよく衝突し、それが彼女でした。
 このなれそめはよく冗談扱いされます。たしかに沙織さんは変なところ規範的で、遅刻寸前に学校へ駆け込むみたいなことは、まず、しそうもないですよね。なので別のバージョンもあります。出会いのきっかけは、ホグワーツ魔法学校行きの汽車で、たまたま同じコンパートメントに座ったことだったというものです。
 なんにせよ重要なのは沙織さんが私にとってほとんどはじめてのお友達だったことです。

 最初の3(形式)段落がこちら。「パンをくわえた女の子と衝突」というのは原作にはない創作のエピソードであり、ふつうに読んでいると「へえ~、パンをくわえるシチュエーションで出会ったってことにするのか、べただけどまあそういうふうに置いておくのもありかな~」とか思うんだけど、そのあとの「ホグワーツ」でこのくだり全体がちょっとしたジョークだったということがわかる。

 

 語り手となっている五十鈴華さんというキャラクターが、はたしてこのようなジョークを繰り出すのか、についてはいろいろな人がいろいろな意見を持っていると思います。どちらにせよ、ガルパンのキャラクターは原作ではそんなにリッチな内面性を付与されていないので、小説で描くときはある程度強めに創作をしないといけない。

 だいたいこういう感じのキャラクターで行くよ、という方向性を、ちょっとしたくすぐりとともに提示するのは、意外性があり、やり方としても非常にきれいですね。

 

 結局、「パンをくわえて~」が本当のことなのか冗談なのかはこの部分を読むだけでははっきりとはわからない。そのふわっとした部分を「なんにせよ重要なのは~」の1文で締め、どうでもいいところと重要なところのコントラストをはっきりさせるのも面白い。実力しか感じられないオープニングである。

 

 わたくしごとで恐縮ですが、子どものころの私はかなりぼうっとしたタイプだったようでした。好きだったのは、児童文学、長距離走、花、水彩絵の具とクーピー、水泳、ロイヤルホスト、ジグソーパズル、ipad、花材の水揚げ、ピクロス、「青少年のための管弦楽入門」、モロゾフのりんごのチョコレート、ハヤシライス、理科、社会、牛乳、四角い花器、オアシスという華道用のスポンジを指でぐしぐし潰すこと。

 そのあとの4(形式)段落目、「列挙」のシーケンスも圧巻ですね。デイヴィッド・ロッジも『小説の技巧』という本のなかで言っていましたが*1、小説のなかで使われる列挙というのはサッカーでいうリフティングみたいなもので、試合のなかで絶対必要ではないのだけれど、それをやってみせることでプレイヤーとしての技量がなんとなくわかってしまう。

 

 世界のなかにある、ほぼ無限に近いバリエーションをもつ「もの」のなかから、文脈やそのシーンに登場するのにぴったりふさわしいものを、かぶりすぎないように、かといってそれぞれが遠すぎないようにジャンルを散らしたりあえて重ねたり、マイナーなものとメジャーなものを、意外なものとそれはそうだよねというものを織り交ぜて、そのうえで適宜形容詞を重ねてリズムを整えたりしつつ並べる、……「列挙」はシンプルながら奥が深い技巧であり、文章が面白い人というのはこういうふうに物を並べるだけですでにけっこう面白いのである。そしてこの「ベスト・フレンド・フォーエバー」もかなり見事な列挙を冒頭で決めている。

 

 二次創作として提示している解釈だったり、そのモチーフの展開のしかた、解決への持って行き方もとても面白いし、ファンフィクションとしての熱量も申し分ない。非常に面白い小説でした。

 

沙織さんにしてみれば他の人たちにするように私とコミュニケーションをとってみようと思っただけのことなんでしょう。彼女はひとりぼっちの女の子を見かけると、自分がその子を孤独にさせてでもいるみたいに感じるようなので。

 ここもすごい。言語化能力が高すぎです。

*1:言っていません。