本来、僕は音楽を聴いてその良さを楽しむ聴覚的な感受性というものがあまり発達しておらず*1、2013年ごろ、「さて、洋楽でも聞く趣味を身につけるか…」となっていたときには、僕がすでに身につけていて、良さを楽しめてるな、と一定の手ごたえを持っていた別のジャンルの感受性を最初のとっかかりとして利用する必要があった。
僕がそのころ、人生で初めて夢中になって聞いていた海外の音楽が、こちらの「Klaxons」というバンドである。ファルセットを多用する非正統派なボーカル、どの部分を切り取っても耳慣れのしない奇妙なメロディとハーモニー、……それなのに曲全体のノリはとてもよくてそれだけでいい感じにまとまったいい曲のように聞こえてしまう。
しかし当時の僕は、そのような音楽としての特徴を好んだからこのバンドを好きになったわけではない。ただ単に「Gravity's Rainbow」(重力の虹)という曲のタイトルだけが重要だったのである。
そのあと、クラシック音楽を聞きかじるようになったときにも文学の手助けを利用した。聴きはじめの時期に聴いていたのは、こういった曲たちである。
オリヴィエ・メシアン「時の終わりのための四重奏曲」(「世の終わりのための四重奏曲」という翻訳のほうが通りがいいが、この曲を知るきっかけになったリチャード・パワーズ作、木原義彦訳の小説『オルフェオ』ではこのように訳されていて、それをかっこいいと思ったので、こちらではこのようにしておきます。)はナチスの強制収容所で作曲・初演された非常に文学的な楽曲である。
ヴァイオリン・チェロ・クラリネット・ピアノというなかなかない編成になっちゃった理由は、収容所で出会った音楽家たちがたまたまこのラインナップだった、ということらしい。歴史性に加え、エピソードとしての力強さも持ち合わせているすごい曲である。
『ディファレント・トレインズ』(Different Trains )は、アメリカ生まれのユダヤ人作曲家スティーヴ・ライヒが、自分の幼少時代と、同時期のヨーロッパで起こっていたホロコーストを、「汽車」というキーワードによって結びつけ、ミニマル・ミュージックの技法によって作曲したドキュメンタリー性の強い楽曲である。1989年のグラミー賞最優秀現代音楽作品賞を受賞した。
ライヒの両親は彼が1歳の時に離婚した。第二次世界大戦の頃、1939年から1942年にかけて、父親とともにニューヨークで暮らしていた幼少のライヒは、ロサンゼルスに移り住んだ母親に会うためにたびたび家庭教師の同行を得て汽車で旅行をしていた。 後にライヒは、「もし、ユダヤ人である自分があの時代にヨーロッパにいたらどうなっていただろうか?おそらく、強制収容所行きの、全く違う汽車(Different Trains )に乗ることになっていたのではないか?」と考え、このことが作品を書くきっかけとなった。
ロベルト・シューマンのピアノソナタ第3番には、「管弦楽のない協奏曲」という副題がついていた時期があって、それがとてもエモくて印象的だったので好きだった。
このタイトルは作者本人の改訂の際になかったことになった*2のだけど、個人的にはやっぱり「管弦楽のない協奏曲」というのがめちゃくちゃかっこいいと思っていて、それを題材に、文明が崩壊した世界とピアニストが出てくる「ピアニストを撃たないでくれ」という短いお話を作ったことまであるほどだ。