禁書目録

 

 禁止された本の思い出を使って、人生をふりかえっていくことができる。

 

 そう言われたのをはっきりと覚えている最初の思い出は、小学校の図書室。低学年向けの絵本コーナーに読みたい本がなくなってしまったので、いいとも言われていなかったけどだめとも言われなかった、中学年以上のいる図書館の本丸のほうに行ったら、見つかって先生に怒られたのだった。「こっちの本はまだはやいです! もどりなさい!」

 

 この先生はべつのときには「いいよ、じゃあいっしょにさがそうか」といって本丸をいっしょに歩いてくれたりもした。いまとなっては、……たくさんの生徒に責任を持つ先生、キャパのあるときとないときがあったんだな、とわかるが、当時服従心が強く、それなりにASD傾向のあった僕は、一貫性のない命令を受けることにとても戸惑ったのをおぼえている。

 

 本に書かれている漢字をたいてい読めるようになったころ、触れることのできる本は爆発的に増え、それと同時に読んではいけない本も増えていった。叔母が買ってきた『完全自殺マニュアル』は、いちど読みかけてとても怒られたのだけど、そのあとも叔母の化粧台の陰から探し出して最後まで読み切った。

 「賭博黙示録カイジ」はエスポワール号のじゃんけん対決のあと、裸にされて焼き印を押されるところまで見て、僕が生まれてきた世界はこんなにもひどいことが起こるのか、と思い怖くて長いあいだトラウマだった*1

 生まれて初めて手に取った文庫本(児童書の単行本と対比させて、当時は「大人の本」と呼んでいた)は赤川次郎の『三毛猫ホームズの推理』だったのだけど、作中でなんども出てくる「売春」という言葉の意味が分からず、……とはいってもべつに筋は追えるのだが、「僕がまだそれを知るべきステージに達していない物事が世のなかにたくさんあるのだな」という心境のままずっと読んでいた。

 

 僕だけではない。小学校高学年ともなれば、禁止された本のほうが面白いということはみんながわかっていて、『恋空』や『赤い糸』が、机の下やカーテンの後ろを通って秘密裏(子供たち本人にとってはそのつもりで)に貸し借りされていた。

 

 成長していくと、一歩ずつ、さまざまな物事に対して、自分がそれを知るべきステージに達していく。ある時点から読んではいけない本は減っていき、難しすぎてあるいは退屈で読めない、というのがその本に触れられない理由のメインになっていく。

 それでも、本というのは不思議なもので(人間の成長のほうが不思議なのかもしれないが)、ある時点で読めなかった本が、すこし経ったあとだと最後まで読み終えることができたりする。そうすると、またつぎの、さらに読めそうにない本に手を伸ばしてしまう。読めなくても「またいつか読めるしいいか」と思って本を置き、今日の分のお酒を飲む。いつのまにか、お酒の飲める年になっていたんですね…。

 

 大学3年生くらいのあるとき、とても頭がさえていて、大学の図書館を歩いていて、ふっと、「もうこの世に頑張っても読めない本なんてないのではないだろうか」と思った瞬間のことをとてもよく覚えている。

 自分の得意な分野であれば、かなり難しい本でもしっかりと挑戦すれば読めたし、そうでない分野であっても同等のものを積み重ねたら読むことができるのだろう。一握りしか届かないような積み重ねの最先端にある本でさえ、原理的に僕に届かないってことはありえないし、それが何語で書かれていてもおなじだろう。興味がわかないような本であっても、どこかに面白がれるところはあるはずだし、出会いそうもないレアな本でも、アンテナを張り続けていればいつかは。ぜんぶをいちどの人生で読みつくすことはできないことは知っているが、同時にこちらは生まれ変わりを信じている*2し、それぞれに読める可能性があるというだけでも十分うれしい。

 

 そのときはとても、道が開けたような気がした。そのあと、それまでよりがっついて本を読むことをしなくなった。「禁止されている本がもうないのが、寂しいな」という感傷的な気分に浸ったりもした。

 

 ……もちろん、そんなことはないのだけれど。ゆるくなった気持ちはもとには戻らなかったし、閉ざされたときではなく、目のまえにはもうなにもないと感じたときが、成長の終わりなのでした。

*1:禁書は禁じられているだけのことはあり、読まないほうがいい、ということもある。

*2:この部分だけ嘘です。