糖尿病で死んだ祖父は名刺の印刷所で働いていた。なので、その当時よく行っていて、ふたつ目の家のようであった母方の実家には、なにも書かれていないてごろな紙切れ(=名刺の赤ちゃん)が山のように置いてあった。
当時(=僕が7歳くらい)、それほどおもちゃを買ってもらえず、日々を過ごすのに必要な遊びをある程度自給しないといけなかった僕たち(=僕と3歳下の弟)はそれに目をつけた。
こういうカードをたくさん作って戦いはじめたのである。友達がやっていて、たまにカードを見せてもらったりしていた「遊戯王デュエルモンスターズ」を見よう見まねで作ったゲームだったのだが、見よう見まねゆえの限界があり、本家にはある「いけにえ」「ライフポイント」「守備表示」といった重要な概念がなかった。
なので、とりあえず自分で強いモンスターを描き、手札にきたモンスターは片っ端からぜんぶ召喚し、場のモンスター同士が攻撃しあい、書き込まれた数字が一番大きかったものが場に残り、……それを繰り返していっておたがいの山札がなくなったとき最後に場にモンスターが立っていたほうが勝つ、というあまりゲーム性のないゲームだった。
しかしこれまでカードゲームというものをしたことがなかった僕と弟にとってはこれが革命的に面白く、2年間くらいはずっとこれだけで遊んでいたような記憶がある。
なのでしっかりとおぼえていて、上掲した「チョッキンマン」はいま雰囲気を再現して作った架空のカードではなく、この世界に、僕と弟とのあいだにあるとき実際に存在したカードである*1。
しかし、あるとき登場した、この「あな」というカードによって僕と弟のカードゲームはそれまでとはまったく違ったものになってしまった。手札から発動することで、無条件に相手のモンスターを一体殺すことができるという効果を持つ「あな」は、見てわかるとおり、量産することが容易だった。
僕も弟もそこまで絵が上手ではなく、数字が強いモンスターを作るときにはいちおう説得力がある程度には絵を描きこまないといけない、といった暗黙のルールがあって、それで最低限ゲームバランスが成り立っている*2というところがあったのだが、それも崩れてしまう。どんなに描き込んだモンスターでも、「あな」の前ではひとしく無力だったのである。
牧歌的だった僕らのカードゲームはいつのまにか「あな」の撃ち合いになってしまっていた。手札から出したモンスターは、どれだけ勝ち残っても、最終的には穴に落ちていく。環境末期には「ダブルあな」(てきを2体ころす)や「トリプルあな」(てきを3体ころす)まで登場し、僕と弟はすこしずつこの遊びに飽きていった。
それ以降は、置いてあった赤ちゃん用すべり台を上下ひっくり返して置き、ジェンガの棒を平らな部分に立てて、祖父の碁石をもってきてジェンガの棒に狙いをつけて坂を転がす、ヒットしたら碁石が2枚払い出される、という、ゲーセンのメダルゲームを見よう見まねしたような遊びに僕と弟の興味は移っていくことになる。*3
現在でも弟と飲みに行くたびに、「『あな』強かったよな笑」「あれは『あな』ゲーだった」とこのときの「あな」の話をして腹がよじれるくらい笑うので、この完成度の低いゲームは、僕の人生にとって忘れられない重要なピースであったのだと思う。