火になるまえの火~ペーテル・テリン『モンテカルロ』~

 

一九六九年五月十二日の早朝、モンテカルロで起きた不運な出来事については諸説あった。冬のように寒く、冷え冷えする朝だった。複数の通信社と地元紙のカメラマンたちが現場に駆けつけ、フィルムを何本も使い切ったが、真相を解明する写真は一枚もなく、どれもまったく証拠にならなかった。

 ペーテル・テリンさんというかたの書いた『モンテカルロ』という小説がとても面白かった。ベルギーにおけるオランダ語文学の「現在」を紹介する「フランダースの声」というめちゃくちゃニッチな海外文学レーベルで、現在まで3冊が刊行されているうちの1冊である。

 発行している出版社は松籟社。海外文学好きの命をささえている偉大な会社である。

 

「何とでも言えるさ。俺はその場にいなかったんだ。奴がデーデーをかばうところを見ちゃいない。お前たちはどうだ?」

 モナコ公国モンテカルロ。そこで開かれたF1レースで爆発事故が起き、人々に愛された特別なタレント「デーデー」が事故に巻き込まれてしまう。彼女の容姿をやけどから救ったのは、その場に居合わせたイギリス人の整備士ジャック・プレストンだった。

 彼は背中に大やけどを負うが、一命はとりとめる。そして生まれ育ったイギリスの田舎で、発言力のあるデーデーが「私の命を救ったのはとある整備士、――ジャック・プレストンさんです」と皆に宣言してくれるのを心の底から待ち望んでいる。

 

 ……という「人知れず勇敢なことをした名もない男が、命を救った当人にその行為をアナウンスしてもらうことで、報われたいと願い続ける」のを不穏なタッチで162ページくらい書いているお話なのですけど、これがとても面白かった。

 目のつけどころが不思議ですよね。「人知れず勇敢なことをした名もない男が、命を救った当人にその行為をアナウンスしてもらうことで、報われたいと願い続ける不穏な話」なんてだれが読みたいんだって感じだけど、実際目の前で語られてみると、先が知りたくて、結局この人たちがどういう結末にいたるのかを見届けたくなる。

 

この瞬間に、オーバーオールと荒れ狂う熱は隣り合わせに接しており、拮抗している。まだ火にはなっていない、その火。

 文体も非常に特徴的で、『モンテカルロ』という作品の欠かせない一部となっている。平均すると見開き2ページ分に届くかとどかないくらいの分量の短い章が繰り返される形式になっていて、章が変わるたびに場面や視点人物が変わる。そんな章のまとまりが3つあって、全体としては3幕構成となっている。

 その形式の力がいちばん発揮されているのが、最初の幕、デーデーをジャックが救うことになる爆発事件を描いた部分でしょう。さまざまな視点から、時間を切り貼りしながら、しかしそれぞれの場面単体ではシチュエーションの完全な見通しを得ることのできない、「藪の中」的な構成がされていて、どの章にもすごい緊迫感がある。

 全体的にわかりやすさを出し惜しみするタイプの小説で、これ以降もわりと切れ目なくどの部分も注意深く読まないと話がわからなくなってしまうのだけど、「そういう本ですよ」ってことをはっきりとまとう緊迫感で示して見せた最初の幕の功績はでかい。

 

 事件の緊迫感を表すのは、爆発の一瞬まえ「火になるまえの火」の描写である。すでに、ことが起こってしまい、この後に起きることもひととおり準備されてしまったあとの一瞬なのだけど、わずかな気配と匂い以外には、それまでと何も変わらない一瞬のように、未来がまだ開かれている一瞬にように思える。

 最初の幕ではそういうことが中心的に描写されていて、最終的にはそういった「もう火はついちゃってるんだけど、まだ未来が開かれているように見える一瞬」といったモチーフを描くために書かれた小説のように読めた。

 

モンテカルロ (フランダースの声)

モンテカルロ (フランダースの声)

 

 とても読んで損はない、オリジナリティのある一冊ですが、有名な作品ではなく、たぶん今後も日本で有名になることはない作品だと思われる。この機会しかたぶんないと思うので、ぜひ手にとってみてはいかがでしょうか。