なるべくたくさんの二人称を使いたい

 

 日本語にはいくつもの人称代名詞があり、ニュアンスの違い、それを使うのが適切とされるシチュエーションの違いを無視すれば互いに交換して使うことが可能である。僕はけっこう昔からこの事実が好きで、ずっと、なるべく多くの種類の人称代名詞を日常生活で使っていきたいと思ってきた。

 

 しかし、慣れ親しんだもの以外の人称代名詞を使うのは難しい。はるか昔、6歳くらいのころ、みんながそうするのに合わせて自分のことを指す言葉を「僕」から「俺」に変えたときとても緊張したのをおぼえている。「俺」って最初の一回目に言ったとき、もし友達に笑われたり馬鹿にされていたら、そのあとの人生をうまく発達できたか非常に心もとない。

 

 人称代名詞とは恐ろしいものだ。恐れのあまり、なるべく普段から人称代名詞を排除するようにしてしゃべっていた時期もあった。幸い、日常会話くらいハイコンテキストなやりとりでは、主語や目的語を明示する必要はない場合が多い。二人称や三人称はその対象人物の名前や位階を呼ぶことで代替できるし、名前や位階を知らなければ話題に出さなければよい(名前も位階も知らないくらい自分と関係ない人間のことはわざわざ話題に出さなくてもなんとかなる)。

 しかし一人称は無しで行くのはなかなか難しいので、「どれもしっくりこないな」と思いながらもなにかひとつを選んでやっていくしかない。

 

 21歳くらいになるころには自我が芽生えてきて、やっと自信をもって本当に自分が使いたい人称代名詞を使えるようになった。使える人称代名詞の幅が広がると、なんというか、使っている人称代名詞が自分にかぶせてくるイメージから自由になれるような気がする。この人称代名詞を使うような人間だからこれを使っているのではなく、これを使いたいって思うシチュエーションだからこれを使っているのだと思えるようになる。

 

 個人的には二人称を選ぶのがいまはとてもスリリングで面白い。二人称なんて一切使わないよ、って人もそれなりにいると思う、「一」「二」「三」とあるなかではいちばん扱いに困るものだと思うけれど、そのぶん、会話のなかで何気に使った二人称のチョイスがうまくはまったときの興奮はなにものにも代えがたい。

 親しい友人と話をしているとき、そのひとのことを「あなた」と呼んだ発話の続きでからかったり、「君」と呼んだ発話の続きでこちらもちょっと自己開示をしたり、「お前」と呼んでツッコんだり、「(名前)」で読んでちょっと客観的に話題を変えたり、あえて呼ばない構文を使って敬意を表したり、そういうふうにしたりすることがとても楽しい。

 

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 調子に乗って、ちょっとまえ叔母が車から降りるときにめちゃくちゃ転んだときに居合わせて「あなたなにやってんの笑笑」と言ったら、「だれにむかって『あなた』だお前!!!???」と怒られたので謝った。

 人を二人称で呼ぶのは日本語の実践上基本的に失礼に当たるので、そうなるときもある。空気を読みながら使いましょう。