なにもしないのが好き

 

 「How are you?」と聞かれたとき、「I'm tired」とか「I'm sad」とか「I'm devastated」などと正直に答えるのは、英会話のクラスではよくしてしまいがちだけど、じつは実際の会話の受け答えとしてはあまり良くないとされている。

 「How are you?」というのはあいさつの定型文であり、聞いているがわもべつに本気で相手の心境に興味があるわけではないのである。へんに色気を出さず、「I'm fine」と言っておけばよいのだという。

 

 おなじようなことが休日明けの久々の会話でも起こる。上司や先輩や先生から「休みどっか行った?」となにげなく聞かれると、つい正直に

「ずっと家にいました」

「へえ! 家でなにしてたの?」

「なにもしてないです」

「なにも、ってことはないんじゃないの? ドラマ見たりとか」

「いいえなにも」

「えー…、ほんとうに…」

「はい、まったく、何も」

 といった良くない流れを作ってしまう。僕はコミュニケーションが(嫌いではないが)下手で、基本的には聞かれたことに正直に答えることしかできない。

 

 どうやら、「I'm devastated」などと答えるのとおなじで、なにもしていないときに「なにもしていない」と答えると、相手に余計な心配をさせてしまうみたい。

 

 ただ、てきとうな嘘をつくのも個人的にはあまり好きではない。べつになにもしていないことを自分で恥じているわけでも悲しく思っているわけでもないのに、嘘をついてしまったおかげで、なにもしていない自分を恥じていたり悲しく思っているような気分になってしまう。

 表面上、物事は円滑に進んでいくのだけど、なんとなく僕がむなしくなってしまうのである。それはいやです。

 

 なので、……時間はかかると思うのだけど、「なにもしない」「なにかができるときにそれにもかかわらずなにもしない」「日常のなにかをしなければいけない時間の連なりのなかから、努力やクリエイティヴィティによってなにもしなくていい時間を生み出し、その時間でなにもしない」といった行為がとても良いものだということ、「なにもしない」がわざわざ時間を使ってするに値することである、ということ、――そういう価値観を世のなかに広めていきたいと思っている。

 

 広めていくためになにかをするかというと、べつになにもしないのですが、もし、この「なにもしない」の価値向上、という理念に賛同してくれるかたがいれば、ぜひ、なにもしないでいただきたい。僕もなにもしません。

 

 「いやいや、なにかをするほうがいいよ!」っていうひとは、そのままなにかをしていてください。もしあるとき、「なにもしない」をしたくなったら、我々なにもしない協会はいままでしていた「なにもしない」をきっぱりと中断し、あなたのもとへ赴いてあなたが「なにもしない」をする手助けをしようと思いますので、そのときは、ご連絡ください。