「月曜日の友達」の砂糖菓子の弾丸

 

月曜日の友達 (1) (ビッグコミックス)

月曜日の友達 (1) (ビッグコミックス)

 

 「月曜日の友達」を読んだ。中学校に上がって、周りの友達が大人へと変わっていくのになんとなく乗れない主人公と、深夜の校庭で超能力の練習をしている月野という変な男子が出会う、ボーイ・ミーツ・ガールのお話。とても面白かった。

 

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 ポエトリーリーディングのような力強い独白と、それぞれのコマの決まった構図が特徴的。デフォルメの効いたキャラクターがどちらかというとリアルな背景に乗っかる絵が作中で一貫していて、独特のリアリティと見ごたえがある。

 

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 超能力少年の月野は団地暮らし。両親は別居しているようで、下の弟妹の面倒を見るのは彼の役目。この「早く働いてお金を稼ぎたいものだ」というところがなんとなく、桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を思い出させた。

 

 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の主人公は、お金という「実弾」を手に入れるため中卒で自衛官になろうとしている。登場人物の藻屑は自分のことを「人魚」、虐待によってつけられた痣を「海水汚染の影響」といい張る電波な女子である。

 社会や家庭や学校のシビアな状況に、甘く根拠のない空想の力(=「砂糖菓子の弾丸」と『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』では表現されていて、それがテーマになっている)で抵抗しようとするローティーンの切実な戦いを描くジュブナイル、というふうに言えばこのふたつを括って考えることができると思う。

 

 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』では、「砂糖菓子の弾丸は現実に対しては無力で、なにも変えることはできなかった。けど私は、そうやって戦っていた友達のことを胸に刻んで生きていく」というような形で幕引きになり、当時はそれが最高にクールで、納得のいく唯一の結び方のように思えた。

 

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 「月曜日の友達」ではその甘い空想の力に対して、すこしべつのアプローチをしている。主人公と超能力少年月野、そして周囲の人々はそれぞれの置かれた状況でそれぞれにできる現実的なベストを尽くす。頭ではわかりきっているけれど、実行することは難しいベストの選択を。

 その勇気をセレブレーションするように、砂糖菓子の弾丸は砂糖菓子の弾丸のままラストで炸裂する。そしてつぎの一話を使った情感たっぷりの締め。

 

 おなじ題材を扱ったふたつの作品が、こうも異なる転帰をとることに、10年というひと回りの時間の大きさを感じた一日でした。