ヨークシンシティのオークション

 

 HUNTER×HUNTERという漫画が僕の人生に与えた影響は計り知れない。とくに忘れられないのは、ヨークシンシティ。そこで開かれるオークションのやりかたを調べるシーンである。オークションのやりかたには「縛り」というものがあって……、というくだりでキルアが「なんかエッチだ」と表情を変えずに思う、というひとコマがある。

 

 当時の僕はこのくだりの意味がまったくわからない程度には子供であったが、わからないことがあればインターネットで調べてみることができる程度には大人だった。ふつうに「縛り」だとたぶん出てこないと思うので、「縛り エロ」などとワードを足して検索したのであろう。出てきた画像を見た。そしてそのときになってはじめて、昔からずっとひそかに困惑しながら抱いていた性癖が、世のなかにすでに存在するものであるということを知ったのである。

 

 親しい友人も含めてほとんどだれにも言っていないことではあるが、僕ははるか昔からとてもとてもSMが好きという重い性癖を持っている。生まれてはじめて性的な感情を喚起されたのは、セーラームーンが敵のいばら攻撃で線路に縛りつけられたところ(その後タキシード仮面が救出した)をテレビで見かけたときだったし、その後現在までずっと、身体を拘束されていない状態の人間に対して性的な欲求を抱いたことがない、というくらいの重たさである。生きているとポルノグラフィに触れる機会もあるのだけど、SMの要素が入っていないものについては完全に無風で見ている。

 

 思春期のころは、将来自分は犯罪者になるのではないかとずっと不安だった。大人になって、まあ犯罪を犯すことはないだろうと信じられるようになってからも、そもそも人の身体の自由を奪うのはかなり悪いことであり、自分のファンタジーのなかだけであったとしても、そんな悪いことを自分が好んでいるということにはまだあまり納得がいっていない。納得がいってなくてもエロいものはエロく感じられるということがまた悩ましい。

 

 ただ良い面もある。そもそも日常で出会う世のなかの人間はほぼ縛られてはいないので、ふつうに過ごしているぶんには性欲を喚起されることがぜんぜんないというのが非常にありがたい。性的な営みにたいするスタンスはひとそれぞれだと思うけれど、僕は性的なものごとに生活上の大きな影響力を持ってほしくないと考えている。

 

 でもこれは因果関係が逆なのかもしれない。現実に満たすには、周到な同意の手続きと用具などのコストがかかる面倒くさい性癖を持ってしまったがゆえに、僕は性的な物事を生活に有機的に組み込むことをあきらめてしまっている。べつにそのことに不満はないのだけれど、生活と性をきれいに両立しているひとの楽しそうな雰囲気を見ていると、それはそれでとてもよさそうだな、と尊敬の念を抱いちゃうのでした。