石井僚一さんというかたの歌集、『死ぬほど好きだから死なねーよ』を読んだ。第57回短歌研究新人賞を受賞した作家で、現在は歌人としての活動をやめてしまっているらしい。
大きめのポイントのゴシック体が圧をもってプリントされた表紙でなんとなく内容のテンションの想像がつく。このゴシック体は作中の各章の題字にも使われていて、それもまた文字が大きい。それが一冊の本としての盛り上げや雰囲気作りになっていて、本がテキストを伝達する媒体以上のものになっている。
作者の石井僚一さんはあとがきで「短歌よりも人のほうが好き」「歌集が面白かったと褒められることよりも、この歌集を読んでひとりの人間がなにか変わってくれたらそののほうがうれしい」といった趣旨のことを書いていた。この本においても、作者の全体的な生きかたにおいても、テクストはあくまで、その背景にある人間の生の副産物であり、また、副産物からその起源のものを見る、というような形で読まれるべく、それぞれの作品が作られているのかな、と思った。
以下は個人的にとてもとても好きな歌をいくつか。
鞄の中の六法全書で変質者を殴打しこの街一番の頑張り屋さんのスカートふわり
短歌と言い張らないと短歌としては受け止められない種類の短歌である。「六法全書」とか「この街一番の」などといった、ディテールを指定する語句でテキストが長くなっている。
テクスト作品を作るときにはこういう、あってもなくてもよいディテールは厳しくカットするのが通例だけど、それがなんか作者の自分勝手のように思えることがありますよね。必要でないディテールも存在していいし、そっちのほうがひとりの人間としては楽しかったりもする。
アリス 穴に落ちて辿り着いたAmazonの倉庫で朝から働くアリス
共通理解が得られるファンタジーなお話と、現代社会のちょっとしたくらい側面をつなぎ合わせて、不思議さと批評性を生み出している内容面は面白いけれど、やや奔放というか、それでいいならほかのなんでもいいじゃん、というような印象を与える。
形式面においては「アリス」~「穴」~「Amazon」~「朝」~「アリス」と「ア」のアリタレーション、そして不完全ながらも「サ行」音のライムを構造として持っている。
ゆるいけれど魅力的な内容面のイメージを、かっちりとした形式で〆ていて、こういう作品はほんとうに強い。
壁一枚へだてて響くおしっこの音にあなたの木漏れ日がある
狭い部屋でトイレを貸すときに感じる気まずさを、あっけらかんと逆の表現をしてしまうのがいいですね。あまり直視したくないものをきれいなもので喩えた比喩、ふだんは気持ち悪く受け止めてしまいがちなんだけど、これは(気持ちよくはないが)判断保留みたいな気持ちになった。
「木漏れ日」の持っている、降りかかってくるものだったり、粒状のテクスチャだったり、黄色い色みたいなものが見事に当てはまっているのが原因なんでしょうか。もう木漏れ日を素直な気持ちでありがたがれなくなってしまうんですが。木漏れ日が嫌いになるまである。やば、この歌集を読んで、人生が変わってしまいました。