ギャガーと秀才は紙一重~赤染晶子『乙女の密告』~

 

 家の近くに新しくできた古本屋があって、これがかなり志の低い古本屋なのでけっこう好きでいる。駅の近く、商店街の端っこという好立地で、外装もかなりきれい目。それは良いのだけど、扱っている商品にまあ思想がない。古本市場のワゴンにある品をとくに選びもせずそのまま引き受けてきたかのような棚づくりで、有象無象の新書や文庫本が統一感なく並んでいる。今どきの古本屋は店主の思想を反映するような棚づくりをしていて、それで競っているところがあるのだけど、ここにはまったくそれがない。

 店内ではゾーニングもせず中古アダルトビデオが売られていて、マンガのコーナーにはところどころしか巻がそろっていない作品が平気で売られている。これで売れるんだったらすごいな。しかも値付けも適当で、ほぼすべての品が税込みで100円となっていた。もう10%の時代なんだし消費税くらいとれよ。

 

乙女の密告

乙女の密告

  • 作者:赤染 晶子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/07
  • メディア: ハードカバー
 

 そんな本屋にも、探してみたらびびっと来る感じの本が置いてあるのが面白い。店に入ったときはとくになにも買うつもりはなかったんだけど、この本を見つけて、ちょっとこれは良いのではないか、という気がして買ってしまった。リンクではハードカバーだが、実際に買ったのは新潮文庫版である。

 

京都の大学で、『アンネの日記』を教材にドイツ語を学ぶ乙女たち。日本式の努力と根性を愛するバッハマン教授のもと、スピーチコンテストに向け、「一九四四年四月九日、日曜日の夜」の暗記に励んでいる。ところがある日、教授と女学生の間に黒い噂が流れ…。(わたしは密告される。必ず密告される)―第143回芥川賞受賞。

 読んでみるともうびっくりするくらい面白かった。『アンネの日記』のなかのひとつのセクションについての考察を作中で行いながら、その舞台を、森見登美彦作品のような雰囲気の、京都の女子外大生のシュールな日常のなかに置く。でも、内容というよりは、技巧的で不真面目な(だって、タイトルの『乙女の密告』のこてこてさを見てみてよ)ギャグ作品のようなスタイルの部分を面白がったほうがよい小説のように思えた。にしては取り扱っている素材がシリアスすぎる気もするけど。

 

『今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!』

 私は他者になりたい。この言葉だった。みか子に必要なのはこの言葉なのだ。

 作品の終末部分では、アンネ・フランクにまつわるひとつの明確な結論を出しているのだが、これがけっこうショッキング。

 

「タカヨー!」

 バッハマン教授は絶叫した。貴代は同じ間違いをしても、なぜかいつも人の三倍怒られる。絶えず、バッハマン教授の逆鱗に触れている。この日もひどく怒られた。

「タカヨ、あほ!」 

 そういう、作品としての結論を出す部分に関しては、結論を急いでいるというか、この分量の小説でそう言い切ってしまうのは難しいのではないかという感じが強い。だからこそ、その「作中で強い主張をしている」という点まで含めてしまって、これはひとつのテクニカルなギャグ小説として読むほうがいちばん広く面白いのではないかと思う。

 

 人形を大切に思っているバッハマン先生は、「ウィスキーといちご大福ではどちらが好きか?」という質問でゼミ生を、「すみれ組」と「黒ばら組」のふたつのグループに分け、そこには対立が生まれる。ひとりだけ、「おほほほほ」と笑っている乙女がいて、主人公は彼女を「麗子様」と呼んでいる。彼女はスピーチに入れ込んでいて、時間を測るストップウォッチを首飾り代わりにしている。麗子様にはバッハマン先生との黒いうわさが流れ、乙女は真実より噂を重んじる。

 

 とても面白いこの筋書きにくわえて、その間に細かいギャグもたくさん挟まれる。それを楽しむだけで十分な作品のように見える。ギャグには技巧が必要だし、技巧はまじめに時間をかけて取り組んできたもののみが得られるものである。赤染晶子さんは小説がとても上手で、どこまで本気でどこまでギャグなのかがよくわからない。

 

 バカと天才は紙一重と言うフレーズがあるが、おなじ意味で、ギャガーと秀才もなかなか区別がつかないのでした。