武蔵野の路をまた歩いてきた。前回はこちら。
武蔵野の路に関する公式のウェブページはない。オフィシャルの情報はルート上に立っていることのある*1立て札だけである。いつもお世話になっているこちらのウェブページによると、今回歩くことに決めた水元・柴又コースはこのようになっているらしい。
ざっくり極まりない地図のように見えるが、トポロジー的に必要十分な情報を含んでいる。おそらく大場川水門から出発して大場川の左岸を、水元公園に突き当たるまで遡上、そのあとは水元公園の南側を江戸川に突き当たるまで進んで、江戸川についたらその右岸を下っていけばいい、ということである。これくらいのことがわかれば迷う心配はない。
すこし考えて、この地図とは逆側、江戸川水門をスタート地点にすることにした。おそらく江戸川沿いの区間はかなり単調になるので、元気が有り余っている前半のうちにすませておきたいというのと、帰りを考えると、帰宅ラッシュの時間帯にうまく通勤客とは逆向きの電車に乗れるのは大場川水門を終点にした場合である、というのが理由である。僕は頭がいいので、このように二手三手先を読むことができる。
もう永遠にこういう景色だった。江戸川の堤防は平穏で、本当に心地よかった。なにか町の中から特筆すべきことを探そうという気持ちもうせてしまって、背中から吹いてくる涼しい風に身を任せながら歩いた。並行する道路は交通量もすくなく、静かだった。普段は歩きながら音楽は聴かないんだけど、この日は普段ではなかった。空は晴れ渡っていて、太陽は適度に地上を照らしていた。ビートルズの「ホワイト・アルバム」と呼ばれている白いアルバムを聴きながら歩いた。幸せな時間を過ごした。
特筆すべきものを探しはしなかったんだけど、ただ、一か所だけ。テイクオフしようとしているスペースシャトルの遊具がある幼稚園があって、これはさすがに写真に撮ってしまった。自分がもし通っていたら、いとことかに自慢しまくっていたと思う。実際のところは力のある男子たちが優先的に遊んでいて、僕があそこに上れる機会はあまりなかったかもしれないけれど。
淡々と、海からの距離を表す表示の数字だけが大きくなっていく。災害に注意が必要な、江戸川区ならではの光景なのかもしれない。
江戸川を離れると、水元公園というかなり大きな公園の南側の通りを歩くことになる。
この通りは桜堤通りと呼ばれていて、カスリーン台風という大型台風が来たときに決壊してしまった堤防の名前を冠している。
9月16日に埼玉県東村(現在の加須市)で堤防がこわれ、あふれた水は決壊から3日目の18日には小合溜井(現在の水元小合溜)まで流れてきました。流れた水は桜堤で止まっていたため、江戸川の堤防を爆破して江戸川に流そうとしましたが、間に合わず、19日に桜堤をこえて金町や柴又に流れこみました。また、20日には中川の堤防も亀有でこわれたため、葛飾区全体が水びたしになりました。新宿や水元付近では水の深さが3メートル以上にもなり、農作物にも大きな被害をあたえました。
適当にインターネットで拾ってきたが、通り沿いにはそのときの歴史を記述した詳細な立て札があった。いま歩いている道がどんな歴史を持っているのか、知りながら歩くのはやっぱり楽しい。
これで全277.7kmのうち25.7kmが終わった。
*1:立っていないこともある。