夜学バー "brat"

 

 よく行くバーがある。初めて行ったのはいまから2年前の7月だったと思う。

 

 その当時(いまもだが)僕はひとりで飲み歩くのにはまっていて、なぜそんなことにはまっていたのかと言うと、お家に帰りたくなかったからだった。そのとき僕は白山にあるちいさな民家の二階、布団を敷けばそれで半分埋まってしまうようなちいさな部屋に下宿していて、そこの大家さんは、もちろん僕のようなよくできているわけではないに部屋を格安で貸してくれるほどに素晴らしいひとだったのだけど、それはそうとして、いっしょにいて心地が良いタイプの人間ではなかった。

 居酒屋に逃避していた、と言うと大げさかもしれないけれど、毎日毎日日中の用事が終わるたびに、家に帰る時間をすこし遅らせたいな、と思っていたのだった。家庭が上手くいっていない勤め人みたいだ。

 

 そういうときに見つけたのが上に貼ったTwitterアカウントで、お店も家から歩いて30分くらいのところにあったし、なんならあの辺りはよく行く場所だったので機会を探して行ってみようと思っていた。こういう場合の常として、行ってみようと思っているうちにかなりの時間が過ぎた。髪を切ってちょっとイケメンになっていたがそのあととくに予定もなかった日があって、そこではじめて本気で行ってみようと思った。

 

 その日、僕はオープン(17時)とほぼ同時に入ったんだけど、それから11時くらいにつぎのお客さんが現れるまでずっと店主と1on1だった。結局終電近くまで居座って、その数日後にもう一回行った。それ以降は適当に気が向いたときに行った。僕はそのバーが気に入っていて、店主さんもすくなくとも僕を出禁にはしなかった。静かな日もあれば賑わっている日もあって、賑わっている日には初対面、あるいは一度か二度カウンターで見かけたことのあるというような相手と、通りいっぺんのものではないような会話をした。このバーを"夜学"と名付けた店主さんの理想は、このお店を、べつに学問的なものでなくてもいいんだけどとにかくなにかを、お店に来て席に座っているとなにか新しくて面白いことを学べるような場にしたい、ということだったそう。最近の新宿二丁目事情について聞いた日もあれば、ドラえもんの大長編に描かれている「恐怖」の感覚について議論した日もあった。体に放射性物質を埋めこんで光らせるアクセサリーの話を聞いた日もあれば、終電をなくした大学教授が心理学という自分の分野の概況をなぜか自信なさげに、批判的に、自嘲的に語るのをいっしょに歩きながら30分ぐらい聞いた帰り道もあった。たしかに、お酒を飲んでいるというよりは、お酒のことを忘れておしゃべりをしている時間のほうがはるかに長いお店だった。

 あと、僕が沖縄土産に泡盛の一升瓶を持っていったらその場で開けられて、お菓子を盛り合わせるような浅くてでかい器になみなみ盛られて出されて、「馬鹿かこいつは?」と思った閉店後の居残りタイムもあった。僕はアルハラを受けるのが大好きなので嬉々として飲んじゃうんですけどね。

 

 あと、突然店主がいなくなってひとりぼっちになったこともあった。

 

 今回、いろいろな経緯があって、その思い出深いバーのカウンターの内側にとりあえず一日いることになった。僕はあまり要領がいいほうではないのでスタッフとして働くことには恐怖しかなく、おそらく実際にも必要最小限以上のことができるとは思えない。正直、その日にはお客さんだれひとり来ないといいな、というのが偽らざる本音ですが、まあでも、もしそれでも来るという人がいれば、話し相手くらいにはなれるかと思います。

 

 もし日曜日にさみしい人がいたら来てね。