自分の短歌にも点数をつける

 

 短歌という、5・7・5・7・7で季語がないものがある。僕はけっこう長いあいだ短歌を趣味にしている。紙に載ったことも何度かあるが、基本的に自分の作品が人に読まれるかどうかはどうでもよく、ただひたすら自分で読みかえして反省したり評価したりしている。そんなことをしててなにが楽しいのかと自分でも思うけど、でも楽しいらしくいままで長いあいだ続いている。

 周りには短歌をやめた人もけっこういて、僕自身も表立った動きをしているわけではないので久しぶりに会ったひとに「短歌やめちゃった?」と聞かれることもある。興味を失う時期もあるんだけど、もともと内的な興味からやっていることなので、わざわざやめたいと思うことはないし、思ってもわざわざやめることもないでしょう、とは思う。

 今夜は適当に自作をピックアップして、なるべく客観的に評価していきたい。

 

飛行機はコンクリートの平原に 深く礼する整備士ひとり

 僕が人生で一番はじめにつくった歌がこれ。高校2年のころに行った北海道旅行の途中、新千歳空港の滑走路のうえを飛行機が走っているときに思いついたのを覚えている。べつに悪くもないがとくに良くもなく、とりあえずはじめのひとつは無難なものをつくりたがるという僕の性格をよく反映しているな、と思った。

 その守りの姿勢がいまとなっては情けないので8点引いて、42点。

 

ぼく魚 タイドプールに残されて星と星とを繋いでいたのさ

 最初の一首を作ったあと、二首目を作るまでにはけっこう時間がかかった。二首目のころは、19歳、なにかを作りはじめた人間がはじめにかならず陥る「ハイ」の状態に入っていて、いま残っている記録(だいたい時系列でのこっている)を見ると苦笑いしてしまうくらい恥ずかしい歌が並んでいる。その時期の歌である。

 文体はなかなか香ばしくて公開するのをためらうが、タイドプール(潮が引いたあと磯のくぼみに残る水たまりのこと)という語のチョイスと、ときには地下水路や地上の水路で繋がっていることもあるタイドプールと星座、という取り合わせはそこそこ良い。それに、タイドプールには個人的な思い出もある。

 思い出の分は差し引くとしても58点くらいはあげてもいいかな。

 

割り勘で買ったお酒が君の胃に多く収まる短夜だった

 短夜というのは字義でいうとたんに夏の夜ということなのですが、主観的に、短く感じてしまう夜、つまり、楽しい夜でもあったという読みかたをしたい。おそらく宅飲みのシチュエーションで、登場人物はふたり。その楽しげな夜のことを、客観的で即物的で、事実だけにフォーカスした「割り勘で買ったお酒が君の胃に多く収まる」というフレーズで修飾することで、逆にそれ以外の情感を煽るような書きかたになっている。

 「短夜だった」の終わりかたは、必然性があるとは言えないが、それ以外の部分はうまくまとまっていると思う。80点。

 

赤提灯駅の近くに増えていてなんだか今日は素敵な日だな

 素敵な日だな笑。素敵な日だと思ったことは結構なことだとは思うけど、これでは短歌としてはどうしようもない。「なんだか」というのも文字数を埋めているだけという感じ。おそらくこの素直な感じはたんに素直なわけじゃなくて、ある程度狙っているんだとは思うけど、その狙いが正しいとは思えない。赤提灯(大衆居酒屋のこと)が増えている→素敵、という話の流れも面白みがない。5点。