さらに良くして、もういちど~「ガールズ&パンツァー 最終章第2話」~

 

(具体的なネタバレはありません)

 

 ガールズ&パンツァーは僕の人生にとって重要な出来事だった。はじめてガルパンを見たときのことはけっこうはっきりと覚えている。劇場版が公開されて半年ほどが経ったころで、「ガールズ&パンツァー」という、ガールズが戦車に乗って戦うアニメの映画版がどうやら面白いらしい、という噂が僕のタイムラインにもちょくちょく回ってきていた。なんとなく信頼を置いている方々まで同時多発的にその話をし出していたので、興味を持っていた。ある日時間ができたので、吉祥寺にある、二番館の雰囲気があるちいさな映画館で、観た。

 

・Before

 ・After

 

 そのときの「ガールズ&パンツァー」の力はすごくて、僕自身の人生にも大きな爪痕を残した。まず、アニメを見るようになって、そのまま普通にオタクになった。ガルパンをお得に観るために立川シネマシティの会員になったことをきっかけに、映画館で映画を見るという消費行動をするようになった。さらに、公式供給に満足できなくなって二次創作ssを読み始めるようになり、pixivに入り浸るようになり、カップリングという概念に人生で初めて触れ、恋愛感情に興味を持った。もちろん、それ以前も恋愛という現象があるということは知識として知ってはいたが、人間の生にとって重要なことだとは思っておらず、たいして興味はなかった。まさか「恋愛」が、こんなにも奥深く面白いものだとは。

 

 人生に抽象的な影響をおおきくあたえた作品にありがちなことだが、もうそうなってくると作品そのものをシンプルに楽しむ、というような関わりかたはできなくなってくる。最終章が制作され、第1話が公開されたときも、映画館まで見にいくモチベーションはそこまでなかった。(見たら普通に面白かったが)

 この第2話も、(そもそも沖縄ではまったく公開されていないという事情もあるが)2週間くらい遅れて見ることになった。やっぱり見たら普通に面白かった。

 

 いま思えば最終章第1話はちょっとコンセプトが不明瞭だった。いきなり味つけの濃い新キャラと、リアリティを混乱させるようなセッティングがいくつか登場し、それになんとか頭を慣らしたと思ったら、安藤と押田が現れてたったふたりですべてを塗り替えてしまった。

 衝撃はすごかったが、最終章が作品としてなにを狙っているのかはまったく明らかではなかった。結果論だけど押田と安藤がいなかったら第2話公開までのこの1年半は完全に違うものになっていたのではないか。

 

 第2話を観たあとでは、不明瞭さはなくなっている。最初に作りはじめたときとおなじ心で、さらに美しいものを。劇場版を見たあとにTVシリーズを見ると、もちろん面白いんだけど、TVシリーズを劇場版のクオリティでもういちど作り直したものがあれば…。という気持ちになることがけっこうある。望んだそれがいま、おそらく作られている。TVシリーズで描かれた、戦車道のある奇妙な世界の風景を、もういちど劇場版のクオリティで描きなおす。新しい機軸を打ち出すわけではなく、ただ、もういちど、さらに良いものを作る。創意は、初心から全くぶれていない。

 もちろんこれからひねりが登場する可能性はあるけれど、でもたぶん、TVシリーズをもう一回、毎週ではなく隔年ごとに、楽しみにしているような気持ちでまた追いかけていけばいい。安心感のある良いコンテンツを追いかけられてて、本当に良かった。