城壁都市について

 

 その小都市がいつからそこにあるのか、住民は知らなかった。そこでの暮らしは素朴で、歴史書のようなものは必要としていなかった。だからその都市をぐるっと途切れなく囲んでいる城壁が、どのような経緯で作られたものなのかについても、住民はなんの知識も有していなかった。なんらかの城壁が必要だった大昔に建設され、壊されることもなくいままで残ってきたのだろう、それくらいの認識があれば十分だった。

 城壁の内側には壁画が描かれていた。芸術家や変わり者は場所を選ばずに生まれてくる。この都市に生まれた芸術家にはたいして才能はなかったのかもしれないが、この規模の小都市にとっては十分と言える文化的達成を都市にもたらした。壁画は途切れなく続く一枚の草原だった。外の世界を思わせるようでもあり、またどこか懐かしくもある草原が、壁画の内側には描かれていた。

 歴史書を持たない住民にとっては、この壁画も、生活に必要ではない範囲の過去からそこにあるものだった。ただ、城壁がもともとあり、そこに壁画の描かれていない期間があって、そのあと誰かによって草原は描かれた。前後関係に関するその程度の認識は漠然とあった。

 

 さて、あるとき、この壁画にまつわる事件が起きる。住民の誰かが壁画に落書きをしたのだ。果てしなく広がる、しかし同時に壁に閉じこめられてもいるこの草原に、ある日突然ひとりの人物が描き足されていた。

 その人物は詳細に、表現力豊かに描かれていた。人物は精悍で、多くの土地を渡り歩いた探検家のようにも見えた。しかし、片手には筆が握られており、その手にはおびただしい数の筆まめがあった。そばには大量の文字が書きつけられている紙の束もあった。それを考えるとその人物は部屋にとどまり書記の仕事をしている者のようでもあった。

 描かれているのがどのような種類の人物なのか、という図像学の議論が住民の間で深まることはなかった。一面なにもない草原こそが我々の生活に浸透していた光景であり、いくら興味深く描かれていようとも、やはりこれは歓迎されない落書きであるという意見が住民の間で優勢だった。

 落書きは消されることになった。もとあった草原を損なうことがないように、清掃作業は慎重に行われた。まずそばの紙の束が数日かけて消され、そのあと人物がまた細心の注意を払って消去された。

 その後、都市は平穏を取り戻した。なにごともなく日々は過ぎ、それまでの生活が帰ってくるかに思われた。

 しかししばらくのち、また別の事件が起きる。この都市にかつて存在しなかった歴史書が、なぜか突然出現したのだ。その出現の経緯については詳しく知られていない。広場の椅子に置かれていたものが、発見した子供によって図書館へ持ちこまれたが、だれがそこに書を放置したのかは謎のままだった。そもそも、この都市についての歴史書などというものは書かれたことがなかったのに。

 図書館の蔵書管理を行っていた、都市唯一の文献学者が書の中身を改めることになった。書は学術的世界での共通語である古典語で記されており、その古典語を生活の一部として身につけているのは文献学者ひとりしかいなかった。

 文献学者は、睡眠と食事、排泄など最低限生活に必要な時間をのぞく全ての時間をその書の翻訳にあてた。翻訳したのは、この書が自分ひとりだけではなく都市のすべての住民に読まれるべきだと考えたからであり、昼夜を注いだのは時間がないと考えられるからだった。

 以下がその書の序文である。

 

「生まれつきひとつの事物に熱中することができず、そのためその他の点では才能に恵まれていたのにもかかわらず学者になることができなかったどころか、生まれた土地に長く暮らすことさえできなかったこの放浪者が、この都市になぜこれほどまでに執着したのか? 己の内を探ってみても答えはなく、運命の導きであったのだと決着をつける以外にありそうにない。

 この地方の言葉で『城壁都市』と定冠詞をつけて呼ばれる文化遺産は、その名前に反して都市ではなかった。土着のひとびとはこの城壁のことを皆知っていて、よく話題に取りあげたが、実際に訪れたことがあるものは少数名に過ぎないようだった。実態は放浪者であるが表向きには探検家と名乗っていた私に、市長から『城壁都市』探査の仕事が持ちかけられた。路銀が心もとなくなっており、しかも、その文化遺産に興味を惹かれていた私は、自らの手に余るのではないかという懸念を抱えながらも仕事を承知した。

 はじめてこの『城壁都市』に足を踏み入れたときの感動を、言葉にすることはできない。城壁の内側には、あるべき都市はなかった。ただ、草原が広がっているのみだった。かわりに、都市はその外側に、――否、その外側とも内側ともいえない、狭間の領域に広がっていた。都市の生活の様子を精巧に描いた一続きの壁画が、内壁に沿って広がっていた。

 秤を扱う家政婦。市。眼鏡を陽にかざして汚れを調べる楽士。芋を干す料理人。徴税局。牢獄。水を流す水路番。鐘を鳴らす学童。――描かれているすべての図像が私の心をとらえた。都市が描かれているのではなく、無限性のひとつの表現のように思われた。

 それから17年が経った。その月日のあいだ、私は、この壁画に描かれた都市を知ることだけを考えてきた。やっとその研究の成果がこの本となって結実した。『城壁都市』の歴史について書かれた、私の知る限りはじめての本となる。

 研究はおもに図像学と文献学の手法に則って行われた。どちらの方法についても簡単な説明が必要であろう。

 この壁画のそれぞれの図像は、その過去すべてを内包するようなやり方で描かれている。例を取って説明すると、〈23;k;13〉の位置に描かれている(この記号表記についてはこの序文に続く本書の第一章で導入する。図像分析を円滑に進めるために、壁画上の図像の位置を簡単に表す表記法を考案した)文献学者の図像には、その表情、筆を執る姿勢、ページをめくる仕草などが精巧に書き込まれており、そのひとつひとつのニュアンスが文献学者のひとつひとつの過去と一対一で対応している。壁画に埋めこまれたこの対応関係を、丹念になぞり読み解くことにより、我々はこの文献学者にまつわる歴史を過不足なく知ることができる。これは〈23;k;13〉の文献学者に限らず、壁画上のすべての人物、静物、建造物に当てはまることである。

 文献学的分析には独特な方法を用いた。この地方においてもすでに散逸してしまっている『城壁都市』に関する文献の代わりに、壁画上に描かれている書物を参照した。都市は非常に文化的に洗練されており、いくつもの書物を壁画の上に見つけることができる。〈1;h7〉などがその好例である。壁画上の書物についてはもちろん断片しか読むことはできないが、上述したようにその断片を丹念に読解することでその書物の全体像を把握することができる。また、(このことについては独立の章を設けてまた考察するが)ある特殊な方法を用いることで、実際にその本を手に取って読むことができる。その特殊な方法については、それが壁画に与える破壊的な結果のため序文では明らかにしない。

 なぜ、壁画に描かれている本を実際に読むということができるのか、奇異に思う読者は多いであろう。その理由を説明することは難しく、諸兄には実際に壁画に赴いて当該の方法を試していただく以外の方法では納得は得られそうもない。(しかし、それは2つの理由で不可能だと思われる。ひとつは、私がすでに図像内の本を当該の方法で読んでしまったからであり、もうひとつは、この本がこのあとその方法が実行可能な人物の手に渡る可能性がきわめて低いからである)

 

 上記の方法によって得られたこの都市の歴史を略述すると以下のようになる。

 城壁は都市と同時に建設された。それが必要になるという建設時の判断には反して、都市が戦火に見舞われることはなかった。暮らしを続けるうちに住民は、無用となった城壁が画布になると考えた。住民は自らの都市を、――自ら自身の似姿を内壁に描いた。それと期を同じくして、建造物や静物や人物は都市から失われていった。この過程は図像と文献の分析により詳細に明らかになっている。この本の内容の大部分は、壁画がどのような順番で描かれ、都市がどのような順番で失われていったのかに関する分析となっている。

 最後に、放浪者であった私はこの都市に魅入られて、ついにはこの都市に関する一冊の本を書き上げた。執筆作業のほぼすべては自宅の書斎(そう、研究に都合の良い土地に住居を購入し、ついに放浪者生活に終止符を打った)で行われたが、この序文だけはすべてがはじまった場所、――この『城壁都市』の壁画に囲まれて書いている。

 本は完成した。明日、街に戻り、印刷所にこの仮綴じの本を提出すればあとは植字工の仕事である。

 しかし今になって私は躊躇を覚えた。放浪者の瞳にはじめはよそよそしく映ったこの壁画の都市が、いまでは生き生きと温かみをもって感じられる。この都市が、まるで真円のように自足し、ほかの何者も必要としていないほどそれ自体調和していることを、この都市の熱心な研究者である私は知っている。

 だがそれは、あなたがたの都市に恋をしたこの哀れな放浪者が、この都市についてのすべてを知り尽くした勤勉な著述家が、受け入れられる余地などまったくないということと同意味であろうか?

 あなたがたとあなたがたの都市への愛と敬意の証明として、また、私のつつましやかな自己紹介として、この書をここに謹呈する。

 こちらの時間で明日、私はまたここに戻ってくる。

 あなたがたの寛大な心と歓迎を祈りながら」

 

 壁画にはいつの間にか、ひとりの人物が描かれていた。研究者のようでもあり、探検家のようでもあった。

 住民の間では議論が交わされた。そして、この人物は住民たちがそれまで慣れ親しんでいた暮らしにとっては無関係であり、なじまないという意見が優勢になった。

 結論が出て、都市の住民たちはそれぞれの暮らしに戻った。それまでの都市に、ふたつのものだけが新たにつけ加わった。

 ひとつは歴史書で、都市の土着の言葉に翻訳もされたが、紐解くものはわずかだった。もうひとつは壁画に描かれた人物で、それは消されることもなく、ただずっと残り続けた。その人物は、なにもない草原に立ち、問いかけるような鋭い瞳で都市の住民を見つめ続けている。