サッカーと文学の奇妙な関係

 

 今年のUEFAチャンピオンズリーグはすごかった! 歴史に残るような大逆転劇がひとつの大会で何度も何度も起きてびびった。準決勝でリヴァプールバルセロナを3-0のビハインドからひっくり返して、100年に一度の奇跡を起こしたかと思えば、その翌日に(僕の応援している)トッテナム・ホットスパーアヤックス相手のアウェー戦をまたまた100年に一度レベルの劇的な大逆転で下した。ルーカス・モウラが決勝進出を決める3点目を試合終了間際にいれたときはひさびさに叫んで泣いたら親が起きてきた(朝6時でした。ちょうど起きる時間)。

 

 そのほかにも今シーズンのチャンピオンズリーグは素晴らしい試合が多かったのだけど、個人的にはこの試合が(どこを応援しているとか抜きにすれば)一番印象に残っている。ここに、その試合に関して、フットボリスタというややハイソサエティなサッカー専門誌のウェブサイトが掲載したコラムがある。

 

[4-4-2]、一撃の殺気、ラスト5分の奇跡… PSG戦、あのユナイテッドが帰って来た

https://www.footballista.jp/special/61939

・危機のユナイテッド、[4-4-2]というクレバーな選択

・PSGのロジック、ユナイテッドの非論理

・負けているのに守備固め――スールシャールの驚きの決断

・そして、すべてを賭けた「最後の5分」が訪れる

[by 林舞輝]

 

 僕はこのコラムが大好きで、べつにパリ・サンジェルマンもユナイテッドも好きではないがこのコラムはけっこうなんども読みかえしちゃう。やや専門的に書かれているので、サッカーに詳しくないひとは読んでもあまりよくわからないとは思われるが、とりあえず雰囲気だけでも楽しんでいただけるように見出しだけ拾ってみた。

 

 このコラムを読むたびに、サッカーと物語の関係について考えてしまう。(記事タイトルでは文学という語を使ったが、こちらのほうが僕の考えていることには近い)サッカーの試合が観戦されて、そのあとそれに関するブログ記事やコラムが書かれる、という営みはこれまでも広く行われてきた。サッカーの試合に触発されて書かれるテクストは、試合内容に関する感想や考察であったり、試合をリーグ戦やその他コンペティションという大きな文脈のなかに位置づけた解説だったり、個人的な観戦体験の記述であったりした。

 

 サッカーにまつわる言説は、いまブレイクスルーのただなかにある。見たものの印象を書くというような素朴なやりかたは、ここ数年の変化によっておおきな挑戦を受けている。ヨーロッパから(5レーン理論、ストーミング、偽サイドバックなどの)新しい戦術理論とそれに付随する用語体系が導入されるようになり、またそれと軌を同じくして、ピッチ上の様々なデータがトラッキングされはじめ、(タックル数、スプリント数、平均ポジションなど)それを操作した新しい統計量が考案されている(ゴール期待値、チャンスビルディングポイントなど)。これらの技術を背景に書かれた、理論的あるいは分析的な記事が最近のPVの多くを占めており(それか、事実関係を記載したジャーナリスティックな記事)、素朴な印象による批評は「それ以前のもの」と受け止められるようになり、退潮を兆している。

 

 この昨今の情勢は、神話やおとぎ話が世界を物語るという役目と世界を測定し理論化するという役目をゆるやかな一体のものとして同時に担っていたような時代から、しだいに自然科学が専門的方法を備えた自立的な分野として切り離され、残余の部分が「文学」として自らのアイデンティティと独自の世界の関わり方を模索していくようになった、(人類史的かつ空想的な過去における)大きな変化を思い起こさせる。

 

 さて、ではサッカーにおける「文学」というのはあるのか? 文学がいま世界に対してもっているような関わりを、文学がサッカーについて持つことができるのだろうか?

 

 先述したコラムは、さっきの言いかたで言えばブレイクスルー以後のテクストではあるが、同時に、文学的なやり方で試合を表現することに成功していて、だから惹かれてるんだと思う。一方、僕もリアルタイムで当の試合を観戦していたので、コラムにおいて語られている味わい深い物語が、はたして本当に僕が見たものとおなじだったのかという疑問は頭から離れない。あのときピッチで起こっていた複雑なこととくらべて、物語はあまりにも物語っぽくなっていないか、と。

 

 どちらにせよ、実際に試合を見るのとは違ったやりかたで、あの試合を再体験したのは本当だと(僕は)言える。そして、それゆえに、今年のUCLラウンド16、PSG対マンチェスター・ユナイテッドは印象深く、自分にとって重要な試合になった。(ビデオ判定の青枠に囲まれて切なそうに頭を抱えるキンペンベの様子なんて二度と忘れない)このコラムはなんども読みかえすだろうし、そのたびに、サッカーと物語の関係について考えてしまうと思う。