月の檻


 地球から月の裏側が見えないのと同様に、月の裏側から地球を見ることはできない。

 


 「最初はみんなそう言うんだぜ」私の監視役は影のように私にぴったりついてきた。月に収監されている以上、監視役の目を逃れることはできないし、したところでペナルティが科されるだけである。「最初はみんなそう言うんだぜ」どうせ監視役は私に効くと思った言葉を繰り返しているだけの無能だ。視線があるのは煩わしいけれど、逆に言えばそれさえ我慢していればいい。いまは境遇を受け入れるしかない。そして、胸の内にある怒りの火を月の暮らしの無為という逆風から守らないといけない。ここをどうにかして抜けだして地球に戻り、最後の一人を殺して復讐を達成する。それが私の悲願だった。

 

 「最初はみんなそう言うんだぜ」24世紀の月の裏側は世界でいちばん悪質な犯罪者ばかりが送り込まれる流刑地だった。月の表側は未開拓の原野でだれも住んでいない。一本だけ、月の赤道にほぼ沿った鉄道が引かれている。「おい聞いてますか? 最初はみんなそう言うんだぜって」月の裏側で私たち受刑者がやることは刑務作業それだけだった。月には地球にあるのとおなじ数の仕事があり、流刑者たちが社会を営んでいた。地球では犯罪を犯すようなやつらばかりが集まっている月の社会はかなり低級なものだったが、それぞれにひとりずつついている監視役のおかげで崩壊だけは免れていた。月にはお金の代わりに「ポイント」が流通していて、刑期を一日務めるたびに一定額が、刑務作業をこなすたびにその作業に応じた額が振り込まれるようになっていた。

 

 24世紀の月は監獄だ。全員が終身刑。仮釈放はない。そういうふうに地球のやつらが法律で決めたのだ。

 

 私の目標は月を脱獄することだった。脱出は不可能だと言われていた。けれど、来る手段があるのにどうして戻る手段がないなんて言えるだろう。脱獄に関係のないことはしたくなかった。だから、はじめて対面したとき、刑務作業を頑張ってポイントをためることをしきりと勧める監視役に、私はこう言ってやったのだ。

「ポイントなんていらないね」
「どうして? ポイントがあれば、より良い暮らしができる。おいしいものが食べられる。休日にするスポーツのためのウェアを揃えられる。防音の家に住める。酸素配給の行列をスキップするためのファストパスも手に入る」
「ポイントなんていらないね。どうせ、月でだけ価値のあるものだ」
「言い忘れていた。これがいちばん大事なんだ。聞いてますか? 100万ポイント貯めると、月の表側に行ける旅行券が手に入る。月の表側に行けば、地球が見える。おまえら受刑者の大好きな星が見える。ここにいるやつらはみんな、年に一度100万ポイントをはたいて地球を見る、そのために毎日頑張って働いているんだ」
「残念だけどそいつらは終わっているな。見るだけの地球に、何の価値がある? ポイントなんていらないね」
「わかってないな。最初はみんなそう言うんだぜ?」

 

 私は毎日追加される最低限のポイントだけで生活をした。もともと、素朴な暮らし以上を望む人間ではないし、地球にいたときも素朴な暮らし以上の暮らしはできなかった。それに、母親を殺されてあとは復讐のためにすべてを切り詰める必要があった。月に収監されたからって、生き方を変えるつもりはないし、地球に行くためではなく地球を見るだけのためにポイントを稼ぐことなど、馬鹿らしく思えて仕方がなかった。

 私は胸の内側の火に薪をくべながら、日々を過ごした。「調子はどうだい」影のようにつきまとう監視役のことは、無視した。

 

 何年の歳月がたっただろうか。脱出計画はいまだに机上の空論のままだった。日々の収支が積み重なって、いつのまにか70万ポイントほどの貯蓄ができていた。

 

 それは一瞬の気まぐれだった。一度地球を見に行ってみるのもいいのじゃないだろうか。心を許しあうほど親しくはならなかったが、多少の関わり合いがあった隣人が、月の表側へ行った帰りに私にお土産をくれたことを思い出す。見た地球について、彼女は多くを語らなかった。流刑地で長く暮らしているのであれば当然、地球見物旅行の経験はあるはずだし、経験があるのであれば多くを語り交わす必要はないと考えているのだ。

 気まぐれは過ぎ去っていかなかった。月の表側を一度見ておくことは、将来的な脱出計画立案の際にプラスになるのではないか? 私の頭は私を納得させる理屈を勝手に作りだした。理屈は私を深くとらえた。このままの暮らしを続けていくとして、100万ポイントがたまるのはいつになるのか計算した。すこし遠すぎるようにも思えた。私は初めて刑務作業の斡旋所に行き、いくつかのマッチング面談の日程を取り決めた。

 そのあとは勤勉に働いた。犯罪を犯さなければ生きていけないような人間とは違って、私はまじめに働くことができる。法律を破ってしまったのは、そうしなければ達成できない目標があったというただそれだけが理由だったのだ。職場で私はたちまち頭角を現した。100万ポイントがたまったところで私は退職を申し入れたが、上司はなんとしてでも止めたがった。結局説得に折れる形で、とりあえず期限を決めない休職という形をとることとなった。

 

 月の表側へ続く始発駅のコンコースは混みあっていた。家族連れ、カップル、ひとり、団体旅行、たくさんの人間がいて、皆一様に期待にゆるんだ顔をしていた。客観的に見れば私もその一員であることに嫌気がさしていた。「だから言っただろ? 最初はみんなそう言うって」監視役がしたり顔でなんども繰り返す。違う。そうではない。ここにいるしまりのない観光客たちとは違って、私は、ただ、貯蓄に余裕ができたから、将来の脱獄計画の下見として地球を見に行くのだ。「最初はみんなそう言うんだ。最初だけはね。聞いてます?」監視役が話しかけてくるたび、私は不快になった。

 

 しばらくして、列車が走りだした。客室の天井はガラス張りだった。私はベッドにあおむけに寝転がって、夜空を見上げた。胸が未知へと高鳴った。

 アナウンスが放送された。私はベッドから起き上がり、テラスへと出向いた。テラスには月の受刑者が詰めかけていた。皆一斉に地平線を見つめていた。

 地球の出とともに歓声が沸き起こった。青い星だった。我々が生まれ、そして放逐された生命の星。二度と私たちを受け入れてはくれない無垢の星。複雑で鋭利で神聖で、慈悲深くも容易に許しを与えない青い光。喜びに飛び上がるものもいれば、悲しみに打ち震えるものもあった。怒りにこぶしを握るものもいた。憂いに閉じこもるものもいた。地球は、それぞれの受刑者に強い感情を呼び起こす美しいかけがえのない星だった。

 テラスで立ち尽くしたあと、私は個室に戻った。ベッドにあおむけになって空に浮かぶ地球を見ていた。知らないうちに涙がこぼれていた。

 地球は列車のスピードに合わせて天に架かる線路の上を歩んだ。地平線に差しかかると、またテラスは地球を眺める人たちで満杯になった。一日中地球を見つめ続けた月の受刑者たちは、覚悟を決めた面持ちで地球の入りを見送った。明日からはまた、今日の素晴らしい光景をまた来年も見るために働くのだ。ずっと馬鹿にしていたその営みの価値を、私は否定することができなくなっていた。

 

 列車が終点にたどり着いたあと、私はその足で職場に向かった。休職願を取り下げて、明日からまた刑務作業に戻るのだ。脱出計画を、復讐を忘れたわけでは絶対にない。脱出計画を練りながら、100万ポイントのために働く、そのふたつはなにも矛盾していない。感動的なもののための、感動的な営みではないか。

 また地球が見たい。私には、――月の全住人にはあの光が必要なのだ。

神ゼーロ~ラ・リーガ20節レアル・マドリーvsセビージャ~

 

 19/20シーズンラ・リーガ第20節レアル・マドリーvsセビージャの試合を見た。スペイン南部、ジブラルタル海峡の上くらいにあるアンダルシア州という州にセビリアという都市があり、そこにあるサッカークラブがセビージャである。セビリアは日本語の伝統的な呼称で、セビージャもセビリアも言語ではSevillaで、まったく同じ言葉である。

 

 レアル・マドリーの中盤はカゼミーロ、クロース、モドリッチ。最近は組まれる頻度が減ったいつもの中盤3人組が、今回の試合は3人ともがそれぞれに素晴らしかった。クロース、モドリッチはパスやシュート、ランニングといった彼ら本来の強みを十分に示していただけではなく、対面の相手との1vs1にもめちゃくちゃ勝っていた。とくに、調子のいいモドリッチは見ていると「よかったなあ~」って気分になりますね。

 

 そして圧巻だったのが2得点のカゼミーロである。ボール奪取を特徴とする選手で、数年前までは守備専用のアンカーみたいな印象を振りまいていたけれど、近年はふつうに攻撃もうまく、自由を与えると危険な選手になっている。

 今回の試合で前線に起用されていたのは、数字を残せてないヨビッチ、ルーカス・バスケスロドリゴの3人組であり、攻撃力の不足が懸念されていたのだが、最終的にはカゼミーロが2点取る(3点目も取りかけた)というこの上ない形で試合を終えることができた。途中からはカゼミーロがボールを持つたびに歓声が沸き上がるという、なかなかない光景が見れた。

 

 スペインのサッカー界にはスーペルコパという、先年度のリーグ戦やカップ戦の上位クラブを4つ集めてトーナメントで戦わせる、たまに中東で開催される、という特徴を持ったちょっとした商業的なおまけみたいな大会があって、それにマドリーが参加していたのが先週だった。そこではカゼミーロ、クロース、モドリッチの3人組に加えて、最高のバルベルデと最近ちょっといい感じのイスコを同時起用したミッドフィルダー5人体制で戦っていたらしく、個人的には「?」となっていたが、みんなこんなに調子がいいんだったらしょうがないですね。

 

「パシージョ」の画像検索結果

 そのスーペルコパでレアル・マドリーは優勝したのだけど、そのおかげで試合前にはパシージョという珍しい儀式が見れた。直近の大会で優勝したチームをたたえるために、対戦相手の選手が先に入場して花道を作る、というもので、スペインのサッカー界では伝統的に行われているらしい。(ライバル関係が長いチーム同士だと省略されることもあり、良いプロレスだと思った)

 

 パシージョはかなり良かった。親密圏で生きていると形式だけの儀式を軽く見ちゃいがちだけど、遠いところから見る儀式というのは風格が感じられて良いものですね。もっと日常に、儀式を無理なく取り入れていきたい。

さよならボキャブラリー


 町野くんは言葉を大切に使うひとだった。私は町野くんのそういうところが好きだったのだけれど、町野くんにとっては必要があってしているだけのことだった。「あれ」とか「こっち」とか「そうして?」とか、不明瞭な言葉ばかりを使って話をする町野くんを、はじめのころはクラスメイトみんなが不審がっていた。でもそのうちに町野くんの置かれた事情のことが広まっていって、そのあとは、言葉の不自由な留学生が友達の輪の特別な中心に置かれるみたいにして、町野くんはみんなと打ち解けていった。町野くんはそもそも、さわやかで華やかな見た目をしていたし。

 

 高校二年生の夏に、私は町野くんと付きあいはじめた。どちらがさきに告白したのかはわからない。そのときのことを忘れてしまったわけではない。むしろはっきりといまでも思い出せる。私と町野くんはお昼を水族館で過ごし、閉園時間の間際に観覧車に乗った。そのあとファミレスに入って、しばらく微笑みながら無言でいた。町野くんはとつぜん沈黙を破って、いつもの、意味のはっきりしないおしゃべりをはじめた。町野くんのおしゃべりは、指示語と機能語ばかりでできていた。名詞や動詞や形容詞が来るべき部分は、空白になっていた。語彙を節約するためのことだった。

 私たちとは違って、町野くんにとって言葉は消耗品だった。一度使った言葉は、彼のボキャブラリーのなかから消えてしまう。二度と使うことはできない。

 

「……は、そう。……そう」
「ねえそれって、私と付きあいたいってこと? 私が好きだってこと?」
「うん。そういうこと」

 

 減っていく語彙を補うために、町野くんはよく辞書を読んでいた。町野くんの部屋には色とりどりで大小さまざまな辞書がたくさん本棚に飾られていた。漢字字典や百科事典、国語辞典だけではなく、英語や韓国語、スペイン語、ほかにもたくさんの外国語の辞書や単語帳があった。生活のなかで自然に覚えた言葉とは違って、辞書で覚えた言葉は使い捨てるための言葉だった。町野くんの家を辞去するとき、町野くんは私の知らない言語でなにかを言った。私のためだけに発されて、私のためだけに消えていく言葉だった。私にとっては意味をなさないその響き、音の連なりを忘れないよう頭のなかでなんども繰り返し復唱しながら家に帰った。調べてみると、それはまたすぐに会う相手と別れるときのスペイン語の挨拶の言葉だった。

 

 私と町野くんはよくケンカをした。ケンカとは言っても、町野くんがケンカのときに口を開くことはなかった。私だけが町野くんに、毎回毎回変わり映えのしないつまらない言葉を何度も投げつける、生産性のないケンカだった。あるときそれがむなしくなって、ケンカの途中に、「町野くんも自分がそういう体質だからってなにも言わないの本当に卑怯だと思う!」とさらなる怒りを上乗せしたら、その日から町野くんは、覚えたはいいけれど使いどころのない辞書の言葉を身を守るクッションとして活用してくるようになった。

 

「通話ができないのは知ってるよ。それはいいって言ってるじゃん。だったら、メールの返信は早くするくらいの配慮を見せてくれてもいいんじゃないの?」
「小承気湯。柴陥湯」
「颯太たちといっしょにいたんでしょ? 遊びながらでも、携帯ちょっと見て返信くらいできるじゃん」
「二至丸。金鈴子散」
「もういい。帰って」
補中益気湯…」

 

 「大好き」だったり、「そばにいたい」って、町野くんから言われたことはなかった。それはしかたのないことだとわかっていた。むしろ、遠慮の気持ちのほうが強くて、もし町野くんが言ってくれそうなそぶりを見せたら、あわてて考え直すよう促したと思う。私たちはなんとなくくっついているだけのただの高校生だ。一度しか言えない言葉がふさわしいほかの相手が、このあとの人生で見つかるかもしれないではないか。

 それとも、「好き」とか「いっしょにいると楽しい」とか「会えてうれしい」なんて使い道の多い言葉は、恋愛なんてわからない幼いころのうちに、すでにぜんぶ使い切ってしまっていたのかもしれないけれど。

 

 私と町野くんは大学1年の夏になるまでつきあった。遠距離になってからは、なんとなく連絡を取るのが面倒になって、私たちを結びつけているものは私たちがつきあっているという事実だけになってしまった。別れてからはとくに連絡を取ることもなく、共通の友人もひとり、またひとりと会わないようになっていって、おたがいの近況もわからなくなった。

 

「……町野くん!」
「あ」

 偶然町野くんと再会したのは、映画館のロビーで入場時間を待っているときだった。町野くんはスクリーンの予告編映像を見つめていた。町野くんに話しかけて、もしかしてと思って買ったチケットを見せると、町野くんもおなじタイトルが印字された前売り券を取りだした。そういえば、私と町野くんはマンガや映画の趣味がとても近かった。

 劇場内の席は遠く離れていた。約束をしたわけではなかったけれど、上映後町野くんは私を廊下で待ってくれていた。そのあとは近くのダイニングバーに入ることになった。町野くんは、時の流れのなかでさらにたくさんの語彙を失っていたけれど、私の、町野くんのいいたい言葉を推測して先回りする力はまったく衰えていなかった。

「じゃあ、いまはOA機器とか、……そういう系の会社でシステム開発やってるんだね」
「そうそう」

 ダイニングバーには店主が命名したオリジナルのカクテルがあって、町野くんはそれだけ自分の言葉で注文した。私が聞きたがるから、町野くんは私と別れてからのことを話してくれた。話したというか、私の推測に、町野くんが指示語と機能語と空白だらけの最小限の言葉で、答えてくれたというか。

 

 大学4年生のときに、町野くんには二度目の恋人ができたのだという。町野くんはその子のことが、私のときよりも何倍も好きで、かすかな好意の含みしかない言葉から直球の告白の言葉まで、「好き」という気持ちを伝えるときに使うことができるすべての言葉を、この世にあるすべての言語の愛の言葉を、その子のために使い切ってしまった。就職して3年目の夏に、その彼女とは別れた。

「そうなっちゃったんだよね」

 そう言って町野くんは、弱みを晒した男がするときの笑いかたで笑った。

「私には好きなんて一回も言わなかったくせに」
「そうだね」
「愛の言葉をせっかくとっておいたのに、もう全部使っちゃったんだ」
「うん。そして?」
「かわいそうにね」
「はは」

 

 終電で帰るとき、改札のまえで町野くんに言った。

「そういえば、まだ辞書読んでるんでしょ? ……いらない言葉があったら、私になにかちょうだいよ」

 町野くんはちょっと迷って。「うーん。……いいよ」と言った。そして記憶のなかを探るために、視線をさまよわせて口元に手を当てた。私がかつて好きだった、言葉を大切にする所作だった。

「電車来ちゃう。早く」
「まだ」
「ねえ! 早くってば」
「はーい、じゃあ」

 もらったのは奇妙な響きの言葉だった。家に帰って検索してみると、それはミクロネシア少数民族の言葉で「さよなら」だった。ただのさよならではなく、またつぎにいつ会えるのかわからない、――ひょっとしたら二度と会わないかもしれない相手と別れるときのための、「さよなら」の言葉。

2017年3月14日

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 iphoneの写真アプリにはこのように、過去の特定の日付をピックアップしてその日に撮った写真を見返してみなよ、とサジェストしてくれる機能がある。

 今日見つけたのは2017年3月14日の写真だった。この自転車と海を思い出すのにそう時間はかからなかった。大学のサークル同期と行った卒業旅行の最終日の日付だ。写真ってすごくて、昔のことを思い出させてくれる。

 

f:id:kageboushi99m2:20200116031958j:plain 場所は尾道。レンタサイクルを借りてしまなみ海道を走る。その出発地点の桟道で撮った写真で、個人的にちょっと気にいっている。卒業旅行とはいっても僕は留年していたのでこの時点ではまだ3年生だったのだが。

 

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 僕らの代はそこまで仲が良かったわけではないのだけれど、こういう集まりへの出席率は高かった。深い人間関係があるわけではないが、基本的な信頼感と安心感はあって、それはそれで得難い友人たちだった。しまなみ海道サイクリングも、サイクリングというアクティビティの性質上そんなに複雑な絡みはできない。車道の左端のひとり分のレーンを、適度な距離を置いて一列になって走っていく。ただ同期と走るだけである。たまに追い抜いたり追い抜かれたりする。

 

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 因島まで行ったあと、船で尾道まで戻ってくる。じつは食事のタイミングをミスっていて、半日間のサイクリングのあいだ食べれたのはお土産屋さんのみかんとファミチキだけだったような記憶がある。しかしあのとき、腹ペコになってやっと見つけたファミマで食べたファミチキはとてもおいしかった。……ような気がする。

 尾道尾道ラーメンを手短に食べたあと、同期と別れた。それぞれ、それぞれの次の目的地へ、それぞれの交通手段で帰っていった。現地集合、現地解散のドライでキュートな卒業旅行だった。

 

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 そのあと僕はもう一度、こんどはバスでしまなみ海道に戻る。今度は因島をこえてさらに先へ。今治に到着する。人生で初めて踏んだ四国の土地だった。

 瀬戸内の、このようなメカニカルでインダストリアルな地中海の光景はとても好きで、山陽本線を電車旅しているときはいつも窓に釘付けになってしまうのだけど、四国側から見る瀬戸内海も同様にメカニカルでインダストリアルだった。好きです。

 

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 卒業旅行が終わったあとも僕は当分自分の旅行を続ける予定だった。今治駅から2.5kmほど歩いたところにあるフジグラン今治という商業施設にネットカフェがあったのでそこに宿泊する。

 そのころにはもうあたりは真っ暗で、途中にあった今治城が輝いていた。基本的には真っ暗だったのだけど、ほかにも輝いている建物があって、それがかなり下品に光っていて面白かったので写真に撮ってみようと思ったのだけど、結局露光が上手くいかなくて撮れなかった。

 けれどあやしく輝いている謎のビルがあったことはいまでも思い出せる。写真ってすごくて、結局撮らなかった場合でも、そのときのことをちゃんと思い出させてくれるのである。

内なる他者に耳を貸すな~ジョイス・キャロル・オーツ『ジャック・オブ・スペード』~

 

気をつけろ! かなり危険だぞ。

 

ジャック・オブ・スペード

ジャック・オブ・スペード

 

 ジョイス・キャロル・オーツさんの『ジャック・オブ・スペード』を読んだ。非常に多作で、そのせいかだれもが作者の名前とペアで思い出すこれ!というような代表作がなく、ポストモダン的な手法を使用し、ノーベル文学賞の時期にはよく名前が挙がる大物作家である、……というくらいの前情報とともに名前は知っていたが、読むのははじめてな作家でした。

 

 裏表紙側のカバー袖に本文中からの長めの引用が書かれているが、そのほかにこの本がどんな内容なのかをアピールする部分はないので、だいぶとっつきにくい。ジョイス・キャロル・オーツ自体、作者の名前だけで本が売れるほど日本でファンがたくさんいる作家ではないと思うので、この本はかなり売れなかったのではないか。

 

クソったれが。私は泥棒ではないし、盗作もしない。誰かに評価を落とされてたまるもんか。

 

 主人公はお行儀のいいサスペンス小説を書く作家であるが、同時に「ジャック・オブ・スペード」という仮名で、衝動的でグロテスクなノワール小説も書いている。そんな彼が、盗作の疑いででたらめな告訴をされるのだが、それをきっかけに、自分の内側から響いてくるダークな「ジャック・オブ・スペード」の声に逆らえなくなっていく。……という感じのお話。

 

 自分は善良な市民であると心から信じている、それと同時に、やってはいけないことをそそのかす内なる他者の声をなぜか振り払うことができない。そういう引き裂かれた精神状態をモチーフにしたアメリカの現代文学はけっこうたくさんあって、そのなかの一作というように位置づけられるのだと思う。抜群に上手く、コンパクトな分量で読みやすいのではあるけれど、この本でしか得られない経験というのはたぶんない。この作品ひとつというよりは、ある潮流の一部を読んでいる、というふうに楽しむのがいいのでしょう。

 

「気持ちが悪いけれどおもしろそう。明らかに『セクシスト』よねーー昔ながらの。この『ジャック・オブ・スペード』ってパパの知り合い?」

 

ヨークシンシティのオークション

 

 HUNTER×HUNTERという漫画が僕の人生に与えた影響は計り知れない。とくに忘れられないのは、ヨークシンシティ。そこで開かれるオークションのやりかたを調べるシーンである。オークションのやりかたには「縛り」というものがあって……、というくだりでキルアが「なんかエッチだ」と表情を変えずに思う、というひとコマがある。

 

 当時の僕はこのくだりの意味がまったくわからない程度には子供であったが、わからないことがあればインターネットで調べてみることができる程度には大人だった。ふつうに「縛り」だとたぶん出てこないと思うので、「縛り エロ」などとワードを足して検索したのであろう。出てきた画像を見た。そしてそのときになってはじめて、昔からずっとひそかに困惑しながら抱いていた性癖が、世のなかにすでに存在するものであるということを知ったのである。

 

 親しい友人も含めてほとんどだれにも言っていないことではあるが、僕ははるか昔からとてもとてもSMが好きという重い性癖を持っている。生まれてはじめて性的な感情を喚起されたのは、セーラームーンが敵のいばら攻撃で線路に縛りつけられたところ(その後タキシード仮面が救出した)をテレビで見かけたときだったし、その後現在までずっと、身体を拘束されていない状態の人間に対して性的な欲求を抱いたことがない、というくらいの重たさである。生きているとポルノグラフィに触れる機会もあるのだけど、SMの要素が入っていないものについては完全に無風で見ている。

 

 思春期のころは、将来自分は犯罪者になるのではないかとずっと不安だった。大人になって、まあ犯罪を犯すことはないだろうと信じられるようになってからも、そもそも人の身体の自由を奪うのはかなり悪いことであり、自分のファンタジーのなかだけであったとしても、そんな悪いことを自分が好んでいるということにはまだあまり納得がいっていない。納得がいってなくてもエロいものはエロく感じられるということがまた悩ましい。

 

 ただ良い面もある。そもそも日常で出会う世のなかの人間はほぼ縛られてはいないので、ふつうに過ごしているぶんには性欲を喚起されることがぜんぜんないというのが非常にありがたい。性的な営みにたいするスタンスはひとそれぞれだと思うけれど、僕は性的なものごとに生活上の大きな影響力を持ってほしくないと考えている。

 

 でもこれは因果関係が逆なのかもしれない。現実に満たすには、周到な同意の手続きと用具などのコストがかかる面倒くさい性癖を持ってしまったがゆえに、僕は性的な物事を生活に有機的に組み込むことをあきらめてしまっている。べつにそのことに不満はないのだけれど、生活と性をきれいに両立しているひとの楽しそうな雰囲気を見ていると、それはそれでとてもよさそうだな、と尊敬の念を抱いちゃうのでした。

 

恋愛遍歴

 

 角打ちという言葉をご存じだろうか。お酒を売っている酒屋さんの一角に簡単なテーブルや椅子を備えつけて、買ったお酒をそのままそこで飲めるようにしたスペースやそういうふうにしているお店のこと、あるいはその飲みの行為のことを角打ちという。

 

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 そんな角打ちにひさしぶりに行ってきた。どの駅からも歩いて15分は離れている、閑静な住宅街の真ん中にあるお店である。レガシーと化している町の酒屋さん、ではなく、コンセプトが明確で志のある営業をしているとても素敵なお店である。

 

 日本酒を専門にしており、ほかの種類のお酒も置いているのだけれど、それも日本産のものに限定している。最初訪れたときは、僕は西洋かぶれなので「あー、日本のしかないのか。俺はイギリスのスコッチしか舌が許さないんだが…」とか思ったりもしたものだけど、お酒ってたくさんの種類があり、ある程度絞って提供してくれるほうが選びやすいし特別感がある。やっぱり素敵なお店だ。

 

 この日は南大東島産のラムを飲んだ。南大東島というのは沖縄県に属する島であるが、戦前までは大日本精糖という一企業が行政すべてをつかさどっていたらしい。個人的には、友人の友人が親の残した借金を返すために強制労働させられているといううわさを聞いている島である。

 

 テイスティンググラスという、口の部分がすぼまっていて香りをためやすいグラスに注がれていた。グラスには細長い足がついていて、グラスを持ち上げるたびにちいさな氷が転がって風鈴みたいな音を立てていて粋だった。

 

 しずかに飲んでいたら、知らないおっちゃんがやってきて角ハイボールを二杯飲んでいたんだけど、飲んでいるあいだじゅうずっと僕にしゃべっていた。話は基本的に彼の恋愛遍歴で、高校時代にはじめてつきあった彼女から、いまの配偶者のことまで実名顔出しですべてを聞いた。「相手にとって興味のない話はしない」というマナーをわきまえた洗練されたお客たちが集まるようなお店では絶対に味わえない、味わい深い体験であり、これが角打ちの素晴らしいところでもある。

 

 僕は心を持たないロボットなので恋愛はしないのだけど、ひとの恋愛の話を聞くのは好きである。そのおっちゃんは、はじめてできた彼女が友人の彼女だった話や、それを友人に怒られてお詫びとして1000円か2000円払った話、その彼女といい雰囲気になって「して?」って言われたけど童貞だったので「何を?」となってなにもせず、その翌日に振られた話などをしてくれて正直かなり面白かった。

 

 おっちゃんが帰っていったあと、店員さんに「お疲れさま」とねぎらわれた。僕がいなかったらその店員さんがおっちゃんの相手をすることになっていたのでしょう。