コパ・アメリカ2019 グループステージ1巡目

 

 コパ・アメリカという、南米の国だけで争われるミニワールドカップのような大会が15日から開幕している。開催地はブラジル。南米サッカー連盟に加盟している10か国と、南米以外の地域からゆる募して集まった2か国(今回は日本とカタールが応じた)の合計12か国で争われる。一応、4年に1回開催されるということになっているが、近年の開催は2004年、2007年、2011年、2015年、2016年、そして今年2019年となっていて特に規則性は見られない。つぎの開催は2020年である。確率的に4年に1回くらい開催される、という意味なのかもしれない。

 

 コパ・アメリカを見るのは初めてだったので、どういうテンションで観戦すればいいのかよくわからなかった。世界最古の大陸選手権であり、南米ではワールドカップに匹敵する盛り上がりを見せる大会である、という話も聞いていたが、footbollistaの「倉敷保雄と考える「南米」の魅力。南米サッカーの言語化は可能か?」という記事ではコパ・アメリカは笑ってみるべきものだ、と書かれていた。

 

 僕は気難しい性格で、年に1,2回くらいしか笑わない。なので笑いながら観るのは現実的に厳しいが、どうしようか、と思いながら開幕を待っていたらその当日にインフルエンザにかかってしまった。なのでリアルタイムで追いかけることはできなかったが、それでも3試合見た。以下その感想です。

 

ブラジルvsボリビア

 国全体の酸素の薄さのゆえに、アウェーで対戦すると非常に厄介な相手だということで有名だが、平地での戦いの場合、ボリビアは弱いがわの国になる。ワールドカップでよく見た弱者たちとおなじように、ボリビアもブラジルに対して中央を圧縮したブロックを組んで戦うのかと思ったら違っていた。ブロックの外も捨てずにしっかりとチェックに行き、空いたスペースには、ほかの選手がカバーできるようなポジションをとることで対応する。ボールが落ち着かない展開を続けているうちはそこまで力の差が目立つことはなかった。

 ただ、ボリビアにはまったく攻め手がなく、その状態で長いあいだ集中を切らさずチャレンジ&カバーを続けるのも難しく……。

 

アルゼンチンvsコロンビア

 スパーズ所属の2選手がいるので楽しみにしていたけど、フォイスはスタメンではなかった。アクシデントでもないかぎりこのポジションを大会中に奪うのは難しいと思われるので、ちょっと残念。

 しかしダヴィソン・サンチェスのパフォーマンスは良かった。とくに裏に出てくるボールへの安心感ね。スアレスを背負っていても余裕をもってプレーしていた。

 

チリvs日本

 数字だけ見れば惨敗だったけど、そこまで悪い印象はなかった。なすすべもなく負けたというよりは、しっかりと戦って、結果上回られて負けた、というような。もちろんその方が選手的には得るものが多いんじゃないだろうか。日本にとってはこの大会は結果はどうでもよく、ただなるべくなら勝ちあがって一戦でも多くガチマッチの経験を積めればそれで大成功なので、この試合は理想的な結果だったようにも思う。

 試合の入りはとても良かった。多くの選手が120%の集中力を発揮しているような状態で、チリとも球際やスペースで互角に戦えていたんだけど、……その結果か35分ぐらいの集中が切れてくるタイミングで猛攻撃を受けてやられてしまった。

 中島、上田、久保は相手を1vs1で出し抜くことができていたし、前田も(ちょっと守備的なポジションをとっていた感じもあってそのせいかもだけど)あともうちょいだった。もし3バックで戦っていたら後ろに重くなって、これほど前の選手を使って攻撃的に戦うことはできなかったかもしれない。采配は評価できるんじゃないかと思う。

 ビダルは後ろに降りてボールを引き取ったり逆サイドに流れてゲームを作ったりフィニッシュに絡んだり王様としていろいろやっていたけど、でも、ビダルって王様然としていても怖くないというか、もっと専門家的に、戦士として局面で戦うことに集中しているほうが怖い選手では…? とか思ってしまった。怪我が大事でなく、またこの大会でプレーを見られることを祈る。

 

 今日、朝、すぐに2巡目が始まる。

イエメン情勢をまとめた匿名ダイアリー

 

anond.hatelabo.jp

 はてな匿名ダイアリーにらしくないテーマと内容の記事が投稿されていた。読んでみると、シンプルに読み物として非常に面白かった。

・そもそもなぜ内戦が起きたのか?

・イエメンの内戦にどうしてサウジアラビアUAEが関与したのか?

・なぜサウジアラビアUAEというアラブの大国が直接支援しているにもかかわらず、敵対勢力を討伐しきれなかったのか?

・「一般にいってアラブの軍隊は非常に弱い」のはなぜか?

・介入してきたイランの「革命防衛隊」とはどのような組織なのか、イランの正規軍とはなにが違うのか?

サウジアラビアの敗勢につながった「致命的な誤爆事件」とは?

 というようなキャッチーな疑問の提示、そしてそれへの答え、この組み合わせの連続を骨格とした記述がなされていて非常に読みやすい。すんなり理解できるようなストーリーになっている。

 

 おそらく、現実の世界で起こる出来事はひとつの筋の通ったストーリーで説明できるような単純なものではなく、この記事にも捨象されている部分やとらえていない現実の複雑性があるのかもしれない。が、それはそれとして、僕はストーリーを読むのが大好きな人間なので、いまイエメンで起きている危機のあらましをここまでまとまった形で読めたことに感謝している。

 

blog.livedoor.jp

 いちおう、書かれている内容がまったくのでたらめではすくなくともない、ということくらいは信じられるようにしておきたいなと思って調べてみたところ、現地語の情報をものすごい密度でしかも10年間にわたって継続的に日本語で紹介しているブログを見つけた。調べてみるとブログの著者は元外交官の野口雅昭氏らしい。こちらの方は生年が1940年とのことなのでもう80歳近くである。エネルギーがすごい。とりあえず直近の情報を拾い読みしてみたが、だいたい匿名ダイアリーで書かれているようなことが起こっているのは本当っぽい。

 

今、サウジアラビアは確実に敗北しつつあります。

――「イエメン情勢」はてな匿名ダイヤリー

 

 ナジュラーンがフーシ派(イエメンのクーデタ実行側で、イランの支援を受けている)によって危機にさらされているという記述にはびっくりした。ナジュラーンというのは中東情勢にとくに興味がなくても知っているひとも多いであろう、歴史のある有名な都市で、僕も名前は知っていた。こんなにイエメン側にあるということは知らなかったが。

 

 良い匿名ダイアリーのおかげで興味を持つことができたので、これからもイエメンの動向を追いかけていきたい。内戦の早期の終結と、イエメンで暮らす人々の平和と安全を願います。

天使は堕天してゆく途中

 

 


 天使のように美しい男に出会ったのはその日の3時間目の授業中のことだった。その男は自らのことを説明して「天使だ」と言った。

 その日の3時間目は授業に出席しないことにした。その時間でなにか別のことをして過ごす必要があり、校舎を塗りつぶすように散歩していた。すれ違った先生や生徒はだれもすれ違った相手を気に留めなかった。義務をなまける、ということが特別な関心を引くような高校ではなかった。出席してくる生徒はすくなく、先生も個人的な理由でよく授業を休む。生徒は先生になんの興味も持っていなかったし、先生も生徒になんの興味も持っていなかった。先生どうし、生徒どうしもおなじ関係だった。そういうスタイルが校舎全体に染みついていて、その状況を憂事だと考えているものはだれもいなかった。
 正門から向かって右にある翼棟を歩きつくし、そこからブリッジとなる棟に移動した。一階には生徒用玄関があり、その上の階にはスペースと掲示板、自動販売機があり、そのほかには一階から屋上まで続く螺旋階段があるだけの建物だった。僕は一階からその階段を上っていった。天井近くには横に細長い採光窓があり、光の帯を段の途中に投げかけていた。光は静止しており、僕がまたぐときだけ影になった。
 屋上のドアを開けると、そこにその美しい男がいた。僕はそのまま手すりまで歩き、そこから校庭を眺めた。校庭を眺めていることが面白くなくなるまでここにいようと思っていたが、広くはない屋上のスペースを知りあいではない美しい男と分けあっているのは心地よい気分ではなかった。僕がドアから室内に戻ろうとしたとき、男が僕に声をかけた。

「ねえ」

 この天使のように美しい男がこの学校の人間ではないということは、その声の響きから明らかだった。自らへの接近の許可を与え、さらに対面の相手への接近の許可を願い出る、やわらかでなれなれしい声は、この学校では発されることがなかったような種類の声だった。

「はい?」
「聞きたいんだけど。その、君がさっきやって来て、これから去って行こうとしているドアの先をいくと、下に行ける?」
「行けます」

 屋上に来た人間で、このドアの行く先を知らないということはありえないことのように思われた。そこを通って来るしかないのだから。

「あなたは誰ですか? この学校の関係者ですか?」

 その質問に天使は「天使だ」と答えた。そのあと、「地獄へたどり着くまでのあいだはまだ、だけどね」と付けくわえた。

 天使は言葉を続けて、自分がなにを言っているのか僕にわからせようとした。「いま、長いあいだ、降りていく旅の最中なんだ。本当は、ここの、ずっと真上で暮らしていた」そう言って彼は空を指さした。空には雲はまばらで、透きとおる何層もの青い色がその奥行きを知らせていた。太陽を遮るものはなにもなく、光が目を傷めた。

「俺の故郷はとても住みよいところだったよ。ちいさなころからあたりまえに享受していたものが、この地上の世界にはないんだって気づいたときにはびっくりした。もちろん、この世界をすべて見回ったわけじゃないけれど。……あまり寄り道をすることは許されていないんだ。最短距離を行かなきゃいけないというほど融通の利かないわけじゃない。ただ、」

 そこで天使は口を止めた。彼の指が水平線を指さしていることに気づくのに時間がかかった。僕が方向指示を受けとったのを確認して、天使は続けた。

「この世界には広がりと裏側があるだろ? いくら俺を懲罰した天使がお目こぼしの達人だとは言っても、裏側まで行くのは無理だ。まあ、裏側まで行ったところでどこもおなじなんだろうな、っていうのは感じるよ。ここから見渡すだけでだいたいわかる」

 その、見下すような言いかたには反感を覚えた。地球のどこかべつの国よりは、いま自分が暮らしている国のほうが良い場所であるということを僕は知識として知っていて、その違いは無視できるほど些細ではないと思った。天使は僕の表情を読み取って、自分もすこし表情を変えたが、その変わった表情も美しかった。天使と名乗る男は僕に反論の時間を許さなかった。僕もそこまで熱心に反論したいというわけではなかったので、聴取を続けた。

「天国はこことは違う。真円をしていて平らだ。中心を始まりとして、端まで行くとどこも微妙に景色が違う。為されていることやできることがそれぞれのエリアで大きく異なっている。異なってはいるが、そのあいだに優劣はない。どれもひとしく素晴らしい。尊敬されている。神が尊敬しているんだ。彼の尊敬は無限大だから。……俺は、真ん中よりは端っこにいるほうが好きだったけどな。でも、ただの好き嫌いだ」
「端っこにいたから、落ちてしまったのか?」

 彼は咎めるような目で僕を見た。力に裏づけられた視線で、ここで相手の機嫌を損なってはいけないのは自分のほうだと思い知らされた。

「僕が堕ちるに至った経緯に関しては、個人的なことなので君に言うことではない」

 僕はそれを会話の終了の合図だと受け取った。背を向けて階段のほうへ行こうとすると、天使のように美しい男はそれを呼び止めはしなかったが、かわりにほぼ呼び止めたに等しいおおきな身振りで、手すりのほうへ向かった。

「降りないんですか?」
「君は降りるといい」
「あ、――。天使は?」

 あなたのかわりに選んだ自分でも違和感の残る二人称を、美しい男は喜んで受け取った。

「ここから見える景色は興味深い。飽きるまで見渡してから堕天を続けようと思ったんだ。――いちど高度を下げてしまったら、それ以上上には、にどと戻れない仕組みになっているんだ」

 天使は手すりから一歩離れた位置に直立して、さきほど僕が見限ろうとした景色を、焼きつけるように見つめていた。僕はそれにつき合った。そのあと、階段室に入って、彼は一歩だけ段を下りた。「今日はこれくらいにしておくよ」そういって、段差に腰を掛けた。僕は彼を追い抜いた。彼の足もとに採光窓から光の帯が投射されていた。「ここに、止まれのラインがある。そういうふうに、俺には見える」

「でもそれは、動きますよ」

 僕は最後にそう言って、彼から離れた。彼は信じられないという目で僕を見た。「太陽が動きますから」

「そうか、そうだな。地上ではそうだったのを忘れてた。……俺のいた故郷では太陽は動かないんだ。不動で、静止している」

 そのつぎの日、放課後に立ち寄ったとき、彼は昨日よりも5段ほど下の位置に居た。手すりに腰を乗せ、凭れかかるのと座るのの中間の姿勢をとっていた。その足元に、光のラインがあった。

「ここだと、なにも動くものがないので、退屈じゃないですか?」

 天使は不機嫌だった。目をあわせずに、革靴の先で足元の光を指した。「こいつが動く」

「夜のあいだはなにをしているんですか?」

 屋上に降り立ってからだけではなく、それまでの天国からのはるかなる落差を彼は旅してきたのであり、夜の問題はこの一夜のことだけではなく、連なったひとつながりのものであるはずだった。その点に配慮して、僕は過去形ではなく現在形を使って尋ねた。僕が、相手の背景を理解し、大局的な観点から対話ができる人物であることを示したかった。

「夜のことは聞かないでほしい。そもそも、俺の故郷に夜はなかった」
「日が昇ってからはなにを?」
「……」
「天国についていろいろ聞かせてくれませんか。話し相手くらいにはなれますよ?」

 天使のように美しい男は手すり側に背をもたれて座った。僕はおなじ段の反対側、壁面にもたれて座った。会話が続き、時が進んだ。足元にあった光の帯は遠くに行ってしまい、夕闇の到来とともに消えた。そのことに美しい男が気づいた。

「なんだ。じゃあ今日はこのままだな」
「このまま?」
「下りないということだ」
「立ちどまってもかまわないんですか?」
「立ちどまってもかまわないか?」
「天使は地獄へ向かって下りて行く途中だと、僕は理解していて。階段を降り続けなければいけない。……そのルールには逆らえないと」
「一方向にしか行けない、というだけだよ」

 天使の表情をうかがって真意を判断しようとしたが、夕闇のなかで見えなかった。「上がることはできなくても、動かない日があっても構わない、ということですか?」彼はおなじ言葉を繰り返した「一方向にしか行けない、ということだ」

 それからも交流の日々は続いた。天使は日に日に高度を下げていった。僕と天使の会話は、どちらかが思考に入っているときのほかには途切れず、話題は多岐にわたった。天国の多様についての知識が増えていったが、それでも毎日それまでの日々を通して一度も登場することのなかったテーマを天使は取りあげた。僕が会話を夕暮れまで引き延ばすことができた日を除いてつねに、会話を終えたときの天使は会話を始めたときより低い場所にいた。4階が終わった。天使と僕の会話は次第に広がり、始まったときは想定してもいなかったテーマについて語るようになった。天使はこの地上のものやことについて、僕に尋ねた。僕は自分の意見は挟まず、手元の携帯で検索して出てくる信頼できそうな情報のみを話した。天使は地上についての知識を増し、2階に踏み入った。屋上ははるか頭上にあった。2階に入っても階段の景色には変化はなく、変わったのは光の帯が通過する時間帯や速度だけだったが、そのころにはもう天使も僕も光の帯が僕らにとって重要な意味があるとは思えなくなっていた。

「天使にとってはこの階段のうえの降下は、長い長い地獄への旅のたった一瞬の出来事にしか過ぎないのだとは思いますが、僕にとっては有意義な時間だった。天使が下りて行ってしまってからも残るような、なにか記念の品を残せないだろうか?」

 あるとき僕は話の流れを遮って天使にひとつの提案をした。天使は無言だったが、おそらく了承していた。僕は携帯を取り出し、手を伸ばしてカメラにふたりの姿を入れた。その結果映しとられた僕らの像を天使に見せようとして携帯を差し出したが、天使はそれを受けとらなかった。

「地上のものを触ると、痛みがあるんだ」
「痛み?」
「懲罰のルールで、地上のものには触れないようになっている」

 天使は手すりを手でつかみ、その上に腰を乗せていた。

「けど、手すりをつかんでいる」
「これはずっとやっているから慣れた。足と床もだよ。……ただ、新しいものを触るときは痛い。それはそっちだけで持っていてくれ」

 彼は画面から目を背けた。僕はべつの日に光沢紙を購入し、一枚だけ使って画像をプリントアウトした。その写真を彼のシャツの胸のポケットに、彼には触らせず自分で押しこんだ。「これだと、痛いですか?」「いや、なんともなかった」

 べつの日にはべつの出来事があった。その日僕は天使のもとにきてすぐに口を開けた。「素朴な疑問があるんだけど」

「疑問?」
「僕は死んだら天国に行くだろうか?」

 この質問によって自分が愚かだと思われないことを、この日々のなかでいつのまにか存在を信じるようになった神様に祈った。僕は賭けに勝利し、男はやわらかな発音で諭すように答えた。

「人間は天国には行けない。根本的に、天国は別格の場所なんだ」

 それは聞きたい側の答えではなかった。長い沈黙のあと、問いが終わってないことを察した男が、人差し指で下を指さした。床面よりも、はるか遠くを。「人間は、全員向こうに行く」

「例外なく?」
「例外は、なかった」

 天使はある表情をした。冗談を言っているのだと受けとったが、しかし、冗談でないとすれば恐ろしいことだった。僕は学校を離れたあともさっきの冗談について考えた。天国のことを考え、地獄のことを考えた。天使が天国を追放され、地獄に落ちていく、そのような罰をもたらした彼の犯罪行為とはどのようなものだったのだろうか、考えた。なぜ、あの美しい男は、天国という満たされた場所で、罪を犯そうと意志したのか。

 あるときは僕は彼をからかって言った。「天使が天使であるという証拠を見せてほしいな」天使は笑って上着を脱いだ。「ここに昔、羽があった」と言い、背面のままそこを指でなぞった。「懲罰が始まるまでは」

「痛いですか?」
「痛みはない」

 天使はしだいに自分自身のことについて話すようになった。語るべき天国の出来事の底が尽きたのではなく、(――なぜなら、天国は無限で広大なので、――彼の言葉)、彼が自分の意志でそう望んだからだった。はじめのころは、現在から遠く離れた、生い立ちのことばかりを話した。俺は天国の中心地で生まれたんだ、と彼は自慢をしているように言った。しだいに時は過ぎ、語りの進行とともに彼は成長し、すこしずつ住む位置を中心から辺境のほうへと移していった。舞台が辺境へと移っていくにつれて、彼の語る物語に穴が開き始めた。重要な人物との重要な出来事が欠落しているため、現在に近い時代のストーリーは意味不明だった。そのような欠落だらけのストーリーから、どうにかしてわからない部分を逆算できないか、僕は聞きながらただ聞くだけではいられずに話のすみずみを思考した。隠されている部分には、彼の罪の物語があるはずだった。僕は彼がどのような罪を犯したのか知りたかった。地獄へ落ちるという凄惨な罰をもたらしたのは、どのような罪だったのか。
 彼の語りは支離滅裂のまま、審判が下されるときまで来た。彼の話は途切れ、そのつぎの場面は空中だった。

「それからは。……空を下りて行くだけだった。俺一人だった。ここの屋上に着くまでに長い時間が経っているが、そのあいだに君が聞いて面白いような有意義な出来事はなにも起こらなかった」
「なにも、起こらなかった」
「そう、ここで終わりだ」

 天使の眼前にはまだ踏み入れていない階段が6段残っていた。僕たちは黙り込んだ。ふたりが会話をせず、思考もしていないのは久しぶりのことだった。

 そのあいだも時間は容赦なく進行し、季節の巡りによって早まった夕闇が光の帯をかき消した。彼は言った。

「では、次は君が自分の話をしないか?」

 僕は言った。

「あなたには、まだ語り残したことがある。……。僕は天使の身に起こった出来事をまだ全部聞いていない」

 そう言いきってしまったあと、ただ時間が流れた。夕闇のせいで表情は見えなかった。時間の進行のあと、彼は話の続きをはじめた。すぐに作り話をしているということがわかった。いままで話した出来事を変形し彩色し想像を織り交ぜた、できの悪い架空のスープだった。僕がそのことを指摘すると、彼は黙った。そしてその日は、沈黙を保ったまま終わった。

 翌日、彼のもとを訪れると、彼は階段の最後の段に座っていた。

「……なぜ。なぜ! どうして!?」

 僕は彼に詰め寄ったが、もっと巨大な後悔が僕の背後に押し寄せ、首を絞めていた。

「ありえないだろ? どうしてそこにいるんだ!? もっともっと時間が残っていたはずだろ!?」
「悪かった。きのうのことへの当てつけじゃないんだ」

 彼は黙って僕の足もとの地面を指さした。しかし僕は彼に詰め寄っていて、僕の足もとは彼の足もとでもあった。そこに写真が落ちていた。

「拾おうと思ったんだ。夜のあいだに落としてしまって。……夜は暗いからなにも見えないし、俺はひとりだった。それにすこし恐怖を感じた。一段ずつ、手でたしかめながら探した。なにも見えなかったから。探したけど見つからなかった。君への当てつけじゃないんだ。信じてくれ」

 後悔は怒りに変わっていた。おさまらなかった。時間はたくさんあったはずなのに。さらに望めばもっともっとたくさんあったはずなのに。
 足元の写真を拾って、もう二度と飛び出すことがないようにくしゃくしゃに丸めて、天使の胸ポケットに入れた。悪かった、と天使は言った。「これが物事の自然な進行なんだ。一方向にしか行けない。上がることは許されていないんだから、下りて行くしかない」
 詰りと言い訳に時間を使わないほうがいい、というところで僕らの意見は一致した。最後に残された1段は、屋上ではじめて出会ってから1階の床に降下してくるまでのことについて話した。それからの日々で、彼は彼の話をし、僕は僕の話をし、また彼は僕の話をし、僕は彼の話をした。僕らの会話が僕らの現在地点にたどり着いたつぎの日、彼はいなくなっていた。さらに下へと落ちていったのだ。

「これは地上のものだから、いくら俺が胸に入れていても、地面にはじき出されて浮かび上がってくる」

 そう彼が言っていたとおり、床面にはくしゃくしゃになった写真が転がっていた。そこが、彼が最後に地上にとどまっていた地点であるはずだった。
 僕は転がった写真を見つめた。そのとき、天井の採光窓から降ってくる光の帯が、時間の進行によって定められた規則に従って、その上をゆっくりと通過していくところだった。

 

Second Saturday

 

Here’s The Deal

Here’s The Deal

 

 

 Second Saturdayという全く知られていないバンドがあり、そのことに彼らの非はまったくない。彼らが有名じゃないのは、100%世界の側に責任がある。

 

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 ジャンルの名前で言えば、パワー・ポップ、ギター・ポップ、サーフ・ポップという感じ。Second Saturdayというバンドがどういうバンドなのか、ひと言で言うと、そしてひと言でしか言えないが、良い曲をこの世に追加した。

 

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 憂いや闇を抱えているわけではないふつうのポップソングだけど、メロディーとハーモニーと展開の心地よさを前面に押しだしたとても良い曲ばかりだ。むしろ、曲にほかの色がついていないということによって、曲の良さがとびぬけた武器になっている。とくに名刺代わりの存在になっているのは「Arianna」と「Forty-Nine Percent」、この二曲を超えるポップソングはこの世に生まれるだろうか? 近い未来、進歩したAIにキャッチーさ、ポップソング、気持ちの良いメロディについての究極の疑問の答えを尋ねたならば、そしてもしSecond SaturdayをそのAIが知っていたのなら、750万年も待つことはなく数秒あればこのバンドをサジェストするだろう。

 

 耳に心地のいい曲には宿命のようなものがあって、一度惚れても、なんどもなんども聞いているうちにどこかでもうこれ以上聞けない、聞いても最初に出会ったときのような感動はもう望めない、というときがくる。曲は抜け殻のようになっていて、曲を聴くことということが、あのときの感動を思い出す引き金以上の意味を持たなくなる。大好きな曲を聴くことがいつのまにか、お墓参りのようなものになってしまう。

 

 この宿命を逃れ、いつ聞いてもはじめのころの感動を褪せずに保っている、僕にとってのわずかな音楽のうちのひとつが彼らのものだった。いろいろ調べてみたところ、ニューリリースはないけれどいまも地元でバンド活動は続けているみたい。フロントマンWyatt Funderburkによるソロプロジェクトも過去あったみたいで、それはすこしエモ感が増してまたべつの音楽になってしまっているが、それでもメロディーとハーモニーの美しさにはSecond Saturdayの面影が残っていた。

 

 また、好きになった副作用として、おかげでSaturdayのスペルも正確に綴れるようになった。

夢の検証

 

 僕は眠るのが大好きで、生まれてからずっと、起きているか寝ているか選べるときは可能な限りつねに眠っているようにしてきた。一般的に、生き物は起きているより寝ているときのほうが様々な面で好ましい、良いとされている。(一例として、ドラクエ4で戦うエスタークは戦闘開始後しばらくは眠っていて、戦っているとそのうち起きるが、寝ているときのほうが強い)

 

 眠りにもいろいろなシチュエーションがあって、どのような眠りもそれぞれの良さがあり、重い二日酔いの状態で朝から昼にかけて寝るときの眠りにも独特の良さがある。眠りが浅いことが影響しているのか、あるいはシンプルにアルコールの離脱作用で幻覚を見ているだけなのかもしれないが、感覚に激しく訴えかける夢を見ることができる。

 

 僕はどこか知らない街の夜の路上を歩いていて、飲み友達のおっちゃん3名に遭遇した。「飲みに行こう」と言われて、上野の飲み屋街に行った。この時点で夢だということには気づいていたので、せっかくなので高い日本酒とかを楽しもうと思った。

 

 お店を出て、ひとりでびっくりハウスに行った。びっくりハウスとは何か?と思うひともいるかもしれないが、びっくりハウスというしかない場所だったとご理解いただきたい。あの施設にぴったりとあてはまる語彙はこちら側の世界にはない。いちばん最後の部屋(尖塔の真下にあった)で布団にくるまると浮遊力が発生し、空に浮かび上がった。僕の上昇にあわせて天井が開き、夜の街の空に放り出されたのだけど、ふわふわと浮かんでいるのは怖かったのですぐに戻った。

 

 部屋に戻ったらやることがなくなったので、布団にくるまって眠った。先述したように、可能な限り眠れ、というのが僕の厳守するルールである。

 

 それで布団のなかで目をつぶると、体が回転しているような感覚と、カーテンが引かれるしゃーっという音が聞こえてきた。僕の夢には処理できる感覚データの上限がある、というのはこれまでの経験からわかっていた。たとえば、夢のなかで、触覚情報を得ようとして周りのものに触れると、触感は感じとれるがかわりに音が聞こえなくなる。いまは目をつぶったので、音と身体感覚が同時に得られているのだろう、と考えた。

 

 夢のなかで回転や移動の感覚を感じているとき、現実の自分は寝返りをうっているのではないか? という長年抱いていた疑問があって、そのときそれを検証したい気分になった。ひょっとしたらいま聞こえているカーテンの音は、現実の世界で寝返りに引っかかってカーテンが実際に立てている音なのでは? と考えるとつじつまが合うような気がした。というわけで、目を覚まして現実に戻って、自分の身のまわりの状態を確認した。

 

 結果から言えば、寝返りをうった形跡はなく、カーテンも乱れていなかった。夢のなかでの身体感覚と現実での寝返りの有無には関係がない、という方向を支持する観察結果がひとつ得られたことになる。

 

 僕は最近ブログ脳になっていて(その前はTwitter脳だった)、日常で起こったことすべてをこれは記事になるんじゃないか、と思ってしまう。そのときも頭のなかで草稿を書きながらパソコンがある部屋に行った。そしたら家の形が完全に変わっていた。

 

 最近僕の実家では改造工事があり、電気系統が入れ替わったり部屋が増えたりしていたので、これもその一環か、と一瞬納得しかけたんだけどその域を超えていたので非常に驚いた。そしたら下の階からめっちゃやばいものが上がってきて、死ぬほどビビりながら本当の起床をした。

 

 夢から目覚めたと思ったらまだ夢だった、という経験はこれまでにもけっこうあって、それだけならべつにいいんだけど、問題なのは、目覚めたあと、これはまだ夢だと気づいた瞬間になぜか毎回とても恐ろしいことが起こるということである。毎回怖いので本当にびっくりする。

 

 今回の場合は夢のなかで書いたブログの草稿を起きていてもまだ覚えていたので、すくなくともびっくり損ではなかったので良かった。

 

 最後に、この記事を書きながらも、現実だと思っていた夢のなかでこれが夢だと気づいたあとに必ず起こる恐ろしい出来事について、やっぱり考えてしまう。いま僕がいてこの文章を書いているのは現実だという確信があるが、もしこれが夢だと気づいてしまった場合にも、おなじような恐ろしい出来事が起きるような気がする。その場合は、(現実へ目覚めることはこれ以上できないので)たぶんびっくりでは済まず、やばいものに襲われて、襲われたまま現実を、長いあいだ、最期まで過ごすんだと思う。

君はコマンダンテを知っているか?

 

 コマンダンテというお笑いコンビにはまっている。関西出身で東京に進出してきて、最近はすごいペースでチャンネルに動画をあげている。

 

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 向かって左にいるのが安田さん、右にいるのが石井さん。おたがいのことは石井君、安田君と呼びあって、いつもおそろいのスーツでステージに立っている。漫才の構造をハックするような「喧嘩の仲裁」という名作のほかにも、重いボケを繰り出していく、というよりは雰囲気とキャラクターをしっかり作ってその世界観全体で勝負するような漫才を数多くチャンネルにあげている。

 

 いちおう、ボケは安田、ツッコミは石井ということになっているが、漫才の形式はボケとツッコミが固定されているような感じではなく、ふたりとも流動的にそれぞれの役目をこなす。ボケとツッコミが入れ替わるというよりは、きっちり区別してないというような感じ。前に、博多花丸大吉(のうちどちらか)が「ツッコミは乱暴で好きじゃない。ツッコミのない漫才というのが理想」というような内容の話をしていたのをテレビで見たことがあって、その同じ理想の頂へまた違ったルートでアタックしているのがこのコンビなのではないか、とも思う。

 

 なんとなく硬派な雰囲気を出しているが、ふたりとも、あざといキャラを演じるのを厭わないところがあって、そういうある意味でかっこつけないところが(別の意味ではかっこつけてるんだけど)個人的にはかなり好き。

 あざといといえばあざといので賛否は分かれるかもしれない。

 

 トークライブの様子もチャンネルで配信している。動画の形式も考えられていて、選んで聞く用の細切れの動画と、流し聞きする用の音声のみ長尺動画が両方とも配信されている。非常にユーザーフレンドリーだ。

 

 トークライブの見どころは、安心できる雰囲気の良さ。笑いどころがなくても緊張せずに聞いていられる間の良さ、空気感。とくに安田さんがギアを上げだしたときに石井さんがめっちゃ笑うのが本当に心地が良い。心底相方を面白いと思っているんだと思う。ふつうに漫才をライブやってるときでも安田さんがアドリブ入れたらふつうに石井さん笑ってるしね。

 

 

 コマンダンテトーク動画史上最高傑作がこちらの動画。自分で買って長さが合わなかった突っ張り棒をホームセンターに返品しにいった石井さんが、「つぎからは濡れないようにしてくださいね」と言われて、やりきれない怒りを抱えるというお話なんだけど、その微妙に同調できない怒りに対して相方の安田さんが対応に困っている感じが本当に良い。

自分の大喜利に点数をつける

 

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 僕はツイッターで面白い小ボケをするのが好きなひとたちを大量にフォローしているため、タイムラインを見ていると面白い大喜利がいっぱい流れてくる。ふふっと笑っていいねを押しちゃうんだけど、それと同時にあるべつの激しい感情も湧いてくる。「俺もウケるボケを言いたい…! コイツは確かに面白いことを言った。だけど、俺はさらに高みを目指したい」

 

 そういう対抗心が湧いて素直に楽しむことはできない、ということをお笑い好きの友達に話したことがある。共感を期待していたのだけれど、その友達は遠い眼をして「男子ってそういう"バトル"してるところあるよね」と突き放され、深入りすることはなくその話題は終わった。「敬して遠ざける」の見本のような美しい対応だったのでちょっと感服してしまった。

 

 とはいえ、面白いことは、言おうと思ったら言えるようなものではない。センスや頭の回転も大事だけど、それ以上に大事なのは思いついたボケが本当に面白いのか、言うまえに自分で吟味することだと思う。面白いかどうかを判断するのは意外と難しくて、深みにはまったら抜け出せなくなる。その深淵に魅入られて力尽きたツイッター大喜利アカウントの屍はいたるところに転がっている。

 

 深淵は遠くもなく近くもなく、ちょうどいい距離から観察するのがいちばんよい。このちょうどいい距離のことを念頭に置きながら、自分の大喜利を振り返って分析、採点する。

 

  いきなり面白くてワロタ。いやこれは文句なく面白いでしょ。自分で見て笑ってしまった。「メルカリ」というすでに面白いワードを持ってきて、しかも浦島太郎のお話としっかり調和しているところが良い。言葉の面白さとお題とのマッチ、それに加えて、「いや、せっかくもらったのを売るのかよ!」→「でも、それはそれで図らずも本人にとっては良い結果をもたらす」という2つのポイントで「変さ」を作り出すことに成功している。

 ひとつの大喜利に複数のポイントを作るのはなかなか難しいのだけど、決まったら抜群に面白くなる。100点満点で100点。大喜利の教科書に載せたい。

 

 これはあまり面白くない。カブトガニも天然記念物である、というところが笑いどころなのだと思うけど、ちょっと説明的すぎる。この出来ではカブトガニしずちゃんがかわいそうだ。25点。いま添削するとすれば、「なんちゃって、冗談よ」を削るかな。しずかちゃんが完全に怖い人になってしまうけれど。

 

 こういうのが僕の芸風だと勝手に思っている。大喜利はやっぱり、ナンセンスとバイオレンスをふんだんに含む激しいボケのほうが面白くなりやすく、見ているぶんにはそういう回答のほうが好きだったりもするんだけど、自分でやるのはそこまで好きじゃない。(さっきのカブトガニしずちゃんの回答は、そういう点からも不満が残っている)

 これのように、ちょっと気の抜けた害のない感じを出していく、というのが僕の当座の目標になっている。その目標を達成はしているが、ボケとしてはやはり力不足という感じがぬぐえない。また、気が抜けているのはいいんだけど、ちょっと抜け過ぎで、逆に狙いすぎで鼻につくような感じもする。35点くらいか。

 

 こういうのわりと僕は好きで、見返しても笑ってしまうんですけど、さすがに他人を笑わせるのはこれでは難しい。工夫もなにひとつ見られない。5点くらいかなと思うけど自分は笑っているので、ちょっと足して15点にする。

 

 これはダメだ。面白くないどころか見返してちょっと恥ずかしい出来。0点。成田空港のなかにある家はこのお題の状況となにも関係ない。

 

 これはたぶん面白いと思う。(「さ」を最初にしなきゃいけない縛りがあったので当然だけど)無理やりいじってなった変な語順がちょっとおもしろいというのと、あとはなによりこの「言ってる」感。こういう、声を当てる系のボケは、その登場人物の表情や身振りから、「本当に言ってるぜ」というライブ感が出せてしまえばもうほかの要素はなにも関係なくそれだけで面白くなってしまうというところがある。

 しかし回答の発想自体は陳腐で、うまく料理しているというよりは素材をそのまま焼いて出しただけのように見える。個人的には、やっぱりもうすこしひねった回答のほうが好きだ。65点。